横浜建築都市学

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2008
建築講座1レポート「足元から見える日本の住宅の可能性」

テーマ:「建築批評」
日時:2008年4月18日(金)18:00〜20:30
講師:植田実
司会:山本理顕(Y-GSA校長)
会場:創造空間9001(旧東横線桜木町駅舎)
主催:Y-GSA+横浜市
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建築ができると必ず外側と内側ができてしまう。今回植田先生が話された靴を履く、履かないという上足・下足の問題は、そういった建築の原点を突きながら、様々な風景をより鮮やかに見せてくれた。今回の講演は大きく分けて3つの軸がある。一つ目は海外の住宅と日本の住宅の上下足についての比較。二つ目は日本の住宅の移り変わり。3つ目は上下足の操作による住宅の内と外の関係性の変化である。

最初のスライドはル・コルビュジエの〈ユニテ・ダビタシオン〉の部屋の中だった。建築を学ぶ学生にはよく知られた住居の一つであり、窓回りの様子や階段を見てすぐにその建物だと気づく。しかし植田先生の注目点は、スライドに映る女性の足元へ向く。日当たりの良いリビングでかかとのついた白い靴を履いて椅子にゆったりと座るその様子は、言われてみれば確かに日本では見掛けることがないかもしれない。その次の、草履がきっちり並んだスライドがとても日本らしく見えて新鮮だった。

一般に日本は靴を玄関で脱ぐ文化であり、靴を脱ぐことは家という領域に入るための一種の儀式だとさえ言われる。それは床の仕上げにも表れる。日本には畳があるが、同じ靴を脱ぐ文化を持つトルコの住宅では、絨毯が敷き詰められているという。上下足の違いは生活に深く根ざしている。

次に、日本人の生活は、洋式文化の流入によって変わってきたという話。当初は畳の上に椅子を並べるという和洋折衷のスタイルがあり、ダンスをするための土足スペースが家の中に設けられもした。しかし洋式の生活が取り入れられてもなお、日本人の家の中では靴を脱ぎたいという習性は変わらないようで、間を取ってスリッパのような履物が使われるようになった。玄関にしっかりと設けられた靴箱が、日本人の頑な意思に思えた。新しい生活を目指して靴で生活をした人もいたという例があったが、少数派だろう。

最後に時代は現代に移り、いくつかの住宅の上足・下足問題を見ていく。広く、のびのびとした玄関を持つ家、車が中にあるガレージのような家、靴を履いて離れと行き来する家、土足スペースの中に寝室が浮いている家。現代の靴の在り方は多様化しており、家の中では靴を脱ぐものという日本の常識が破られようとしていた。公の領域と私の領域の境界が揺らいでいるようだ。住宅の中に靴を脱がずに入れるスペースが取り込まれるというのは、住宅に入るバリアが一つなくなることを意味し、都市と住宅が一歩近づいたと言えるかもしれない。逆に家族という枠にそれほど大きな意味がなくなり、より個人化が進んでいる傾向を表しているとも言える。現代においては、靴を履く、履かないのどちらかではなく、様々な方法で靴を履くことを住宅内に取り入れているのだ。

私は、スライドの中にもあった藤森照信の〈秋野不矩美術館〉を訪れた時のことを思い出していた。小さなドアを抜けると靴を脱ぐための大らかな広い空間が待っている。靴を脱いで上がるとひんやりとした敷物、続いて大理石のざらついた床へと部屋ごとの床の仕上げが異なっている。空間の切り替えを足の裏から優しく伝えられるようであり、全身でその場、その時を味わう感覚があった。何より心地良く、最後には美術館の部屋の中心に座り込んでしまった。それは『北風と太陽』の童話で、太陽に照らされて暖かくなった旅人がつい上着を脱いでしまったのに似ている。そこに訪れる人がつい気持ち良くなり、座り込んでしまうのである。とても効果的に、靴を脱ぐということが建築に取り入れられている。考えてみれば、足の裏というのは人間が建築と直に触れる時間が最も長い部分であり、足元の違いというのはその場の感じ方を決める大きな要素である。靴を脱ぐことで空間を把握する次元が一つ上がるような気がする。

文化としての靴を脱ぐ習性、日本人が取り入れ解釈してきた家の中で靴を履くこと、この両方を選択し工夫して取り入れることができる現代の日本人は、より豊かな住環境をつくっていくことができるだろう。
(池谷夏菜子)

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