2007
都市講座4レポート「都市の未来をつくるもの」
テーマ:「欧州コンパクトシティとその現実」
日時:2007年7月13日(金)18:00〜20:30
講師:岡部明子(千葉大学工学部デザイン工学科助教授)
司会:鈴木伸治(横浜市立大学国際総合学部准教授)
会場:横浜市開港記念会館
主催:Y-GSA+横浜市
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建築は、都市の未来をつくれるのだろうか。
「コンパクトシティ」とは、都市のスプロール化を抑え、市街地のスケールを小さく保ち、徒歩で行ける範囲を生活圏ととして捉える、ヒューマンスケールな都市領域を目指して近代に作られた都市概念である。
岡部氏は講演の初めに、「コンパクトシティというものがどんなものなのかを多面的に知り、自分なりに考えられるようになって欲しい」と話された。その言葉通り講演は、さまざまな角度からコンパクトシティに関っていく。そしてそれらは、近代につくられた概念とは異なったものとして語られていた。
かつてのコンパクトシティが、どの都市に対しても有効な一般性をもった概念として、また全体形をもったマスタープランのようなものとしてつくられていたのに対し、今回の講演で語られるコンパクトシティは少し違い、一般性をもった概念というよりは、もっと現場感覚とでもいうような、個別の解答として紹介された。
その最も端的な例が、欧州の人口減少に対する都市政策として紹介されていた、「パーポレイション」という手法である。都市領域が縮小するときに、スムーズに縮小することは難しく、都市に穴が空いていく。その穴の空け方が問題なのだが、このパーポレイションでは、人口減少で人のいなくなった地区において建物を撤去し、緑へと換えていくということが行なわれている。撤去すべき建物は周辺環境のことを考えながら、現場合わせの感覚で決められていく。他に紹介された事例も、多かれ少なかれ現場合わせの側面をもち、つまり部分から都市を考えており、近代のような全体を決定するモデルや概念を強く感じられることはない。
現代の都市に生きる僕らにとって、都市というものは前提条件であり、都市そのものを自分たちがつくり出していくという感覚はない。そのとてつもなく巨大で複雑なものは、全体形などはもたず、常に変化していく。その変化こそが都市なのかもしれない。
絶えず変化していくものに対して、全体形をもち、形態をもつ近代の都市モデルや概念といったものは、もはや無力なのではないだろうか。岡部氏も質問に対して、「コンパクトシティという概念を一般化することはできない。相対的に自立している状態である」と語っていた。これはコンパクトシティのみならず、近代につくられたすべての都市モデルや概念に当てはまることだろう。
近代の建築家たちは、モデルや概念をつくることで都市の未来をつくる、もしくは見せてきた。現代の建築家たちは、都市の未来に対して何ができるのだろうか?現代の都市に対応した新たな都市モデルをつくることだろうか?そんなはずはない。そのヒントがこの講演のなかで語られた。
僕らに現代の都市そのものをつくりかえることは、既に不可能だ。それに意味がない。僕らにできることは、部分から都市に関っていくことだ。都市はすでに一般性をもたず、常に特殊解を求めている。そこでは近代の概念は通用せず、むしろその枠組みや制度は、都市を、そして僕らを束縛している。しかしその束縛にすら気付いていない。僕らは建築という都市を構成している部分を通し、可能性を見せなければならないのだ。
ときに制度や枠組みを壊しながら束縛を解き、新たな状況を喚起する。この都市における新たな可能性の提示こそが、現代の建築家に求められていることではないだろうか。僕らは建築を学び、都市を考えていく者として、何より都市に居住する者として、都市空間における新たなアクティビティを喚起していかなければならない。僕らの創造力が試されているのだ。
建築をつくることは未来をつくることである、はずだ。
(横木 真)