テーマ:「建土築木」
日時:2007年6月25日(月)18:00〜20:30
講師:内藤廣(建築家、東京大学大学院工学系研究科社会基盤学教授)
司会:北沢猛(アーバン・デザイナー、東京大学大学院新領域創成科学研究科教授)
会場:BankART 1929 Yokohama
主催:Y-GSA+横浜市
近作が次々とスライドで映し出され、そのとき考えていたことを語る。建築家の講演なのだから、今回もそのようなものを想像していたのだが、まったく違った。それは内藤氏の建築作品の紹介というより、長期にわたる地方での活動全体、もっと言えば彼の生き様そのものが語られたような講演会であった。
「後ろの人、見えないでしょう」最初にそう言って立ち上がると、最後まで立ったまま講演を続けられた。がらんとした天井の高いホールにひとりだけぽつんと立ち、諭すように語りかける。講演は内藤氏の幼少期とその頃の横浜の様子から始まった。講演者が自らの生い立ちや幼少時代などをここまで詳しく語ったのは、全8回のこの市民公開講座を通してもこの回だけだろう。
私的な境遇に加えて、戦後間もない当時の時代背景によって心に刻まれたある種の喪失感が、自らに建築家という道を選ばせたのだと自身を振り返る。あの時代、煤けた喪失感の先には、誰もがピカピカに輝く未来を夢見ていただろう。焼け野原に、力強く立ち上がっていく構築物たち。建築や都市、さらには社会や文化とはすでに用意されているものではなく、これからつくられるものだ。そして今ここにいる自分たちは、それを築き上げていく当事者である。そんな幸福な実感と共に、日本は成長を続けていったはずだ。
それから半世紀ほど経ち、日本は成熟期を迎えた。2005年にはついに人口が減少に転じ、「潮目が変わった」という内藤氏の言葉通り、戦後に匹敵するような時代の転換期が始まった。あらゆる分野で既成の仕組みがぎしぎしと音を立てて崩れ始めているにも関わらず、建築はバブルの惰性に引きずられ、今本当にすべきことは何なのかを追究しないまま、制度の内側に自閉した建築世界の中で「建築的無意識」に埋没して、私的な価値を再生産している。土木という建築の外側に身を置くことで、より鮮明に見えてきた、そのような建築界の傲慢な姿勢に危機を感じて、内藤氏は閉じた建築を「風景」に向かって開こうとしたのだった。
モダニズムの建築が大地から切り離された純粋さを求め、都市においても抽象化された航空写真に線を引く、まさに空から降ってくるような都市計画であったのに対して、風景はどこまでいっても地べたに這いつくばっている。分業化と専門化の行き過ぎによって協調性を失っていた建築と土木だが、風景を見る眼差しで辺りを眺めてみれば、両者を隔てる境界などそもそも存在しないことに気付く。
講演会のテーマである「建土築木」という言葉は、文字通り膠着した建築と土木というふたつの塊を解体して、風景というスケールをもって互いをひとつにまとめ上げることへの意思表明だろう。下からの視点で、今ここにある物事の具体性からすべてを始めようとするそれは、場所や状況の独自性を蹴散らすように大きな問題を大きく解くのではなく、大きな問題から小さな問題までをそのつど丁寧に解いていくことを目指す。その舞台となるのは、世界経済のマネーゲームに沸く華やかな大都市ではなく、人口減少と少子高齢化が止まらない日本の行く末がすでに目に見えるかたちで現れている、壊れかけた地方都市である。大都市を飾り立てるような建築ではなく、「もっと地方に目を向けて欲しい」と内藤氏は語る。
講演会では宮崎県日向市でのプロジェクトを例に挙げ、具体的に語られた。地元の小学生や若手建築家、他分野の技術者たちとのワークショップや協働のプロセスが内容の大半で、内藤氏の作品紹介はあっけないほどささやかだった。
まずソフトがしっかりと運営され、持続される枠組みを整えること。活動の容器としてハードが与えられるのはその次でよい。建築に辿り着くまでの長い道のりこそが、真の建築家の仕事である、あたかもそう主張しているかのようだ。こうした仕事には長い時間が掛かる。一個人がすべてを一気に作りきることなど土台無理で、多くの人々と意思を通わせ、力を合わせなければつくれない。
土を耕し、種を蒔き、欠かさず水を与え、手入れを怠らず、長い時間を掛けてようやく実るものだ。内藤氏は派手な作品で話題をさらうスターアーキテクトではなく、風景の「種」を蒔く人になろうとしているのだと思う。「僕はもう建築家として終わっているかもしれない」と呟きながらも、そういった志をもつ人が、もっと増えて欲しいと切に願っているはずだ。農業のように、地道で朴訥な、しかし地に足の着いた誠実な建築家の仕事が、これからは真に必要とされるのだろう。そうやって初めて、地の底から湧き上がってくるような風景は培われるのだ。