テーマ:「新しい環境」
日時:2007年10月12日(金)18:00〜20:30
講師:妹島和世(建築家、妹島和世建築設計事務所主宰、SANAA事務所共同主宰)
司会:西沢立衛(Y-GSAプロフェッサー・アーキテクト)
会場:横浜市開港記念会館 講堂
主催:Y-GSA+横浜市
ものをつくることにおいて、ときには動物的な感覚が必要である。それはアートの世界においては確実に評価されるが、一方で、機能をも求められる建築のなかでは評価され難い。しかしその動物的感覚が、ある種の普遍性を帯びながらかたちに表現され、建築を活き活きとさせていく過程が、妹島先生のプロセスには見られた。その中で「新しい環境」をつくり出すような「ソフト」な建築の在り方を見ていきたい。
初めに妹島先生の近作が紹介された。スライドを見ていくと、各プロジェクトのプロセスは次のようにして進む。まずは周囲のコンテクストを読み取ることで大枠をつくる。そのなかで、空間を自由に曲げてみたり、抜いたり畳んだりしながら展開していく。すべてのプロジェクトが何もない状態からスタートしているように思えた。
そしてそのプロセスについてほぼ一貫して言えるのは、周辺環境の説明から「カーブ」という言葉がキーワードになっていることである。その言葉は形状という意味を飛び越えて普遍的な意味をもっており、その意味には周囲の環境やプログラムが関連づけられ、各々のプロジェクトにおいて特別な意味に変わっていく。さらに建築空間は、妹島先生の個人的な思いにより、断片的なシーンがヒューマン・スケールのなかでつくられていく。その断片的なシーンが連続していくことで全体が見えてくる、というような建築のつくり方がなされていた。
そして断片的なシーンが集まることで、全体に散らばる感覚が生じていくように感じられた。それは活動領域を多方向に生じさせ、そこには大きな繋がりのなかでばらばらに活動している小さな都市の性質が垣間見えた。
一方で、都市に建築をもち込もうとするとき、都市生活と建築の関係を、能動的な「繋がりたい」という言葉で表現されていたことが印象的だった。主観的な感覚から建築を表現していくようなやり方には賛成しかねるが、各プロジェクトで感覚を無意識のうちに都市生活に落としていく操作がなされていることには同調させられた。なぜならその主観的な感覚がプロジェクトのなかで一貫性を保っていることで、建築の内側で考えることと、外側での(外側からの)建築の在り方に連続性を生み出していたからである。結果としてそこで行なわれる生活が、建築の内と外での体験を、より等価に近づけていると思えた。
環境とは取り巻くさまざまな事物や現象の総体として捉えられる。そのため、いくつもの異なる見地から視線を向け、それらを束ね合わせるようにして環境を読み解いていくことが重要である。
妹島先生は西沢先生との対談のなかで、プログラムと環境が溶け合ったものが、そのままかたちになっていくことが理想であると述べられていた。すると〈金沢21世紀美術館〉の「丸」や〈ニュー・ミュージアム〉の「四角」と、〈大倉山の集合住宅〉などで用いられた「カーブ」の意味合いは大きく違ってくる。つまり躯体としての建築の「ハード」にプログラムを与えることと、形状に「ソフト」な意味をもたせて、環境とプログラムを同時に考えることである。それはプログラムという建築を語るときの空間のもつ機能という意味から、ひとつ飛び越えたプログラムの概念を提示することが必要なのではないだろうか。
機能で規定されている空間以前に、人間の動物的な感覚が生む環境が「カーブ」という空間を生じさせ、そのなかで流動的な生活が建築の内外に広がっていく。そのような体験がさまざまな環境のなかで建築の在り方としての解のひとつとしてあり、また周辺の新しい環境をつくっていくように思えた。