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   <title>Y-GSA｜横浜建築都市学</title>
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   <title>2008年 建築講座2レポート「現代人と建築」</title>
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   <published>2009-07-02T03:02:15Z</published>
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   <summary>テーマ：「空間の力」 日時：2008年5月30日（金）18:00〜20:30 講...</summary>
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      <name>Takenori Miura</name>
      
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      <category term="建築講座" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="40" label="仁井田百合" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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      テーマ：「空間の力」
日時：2008年5月30日（金）18:00〜20:30
講師：東浩紀
会場：横浜市開港記念会館 講堂
主催：Y-GSA＋横浜市
      大きなよく通る声と、次から次へと息継ぐ間も惜しいかのように流れ出る言葉の波。講演が始まった途端、会場全体は東氏から出るエネルギーに制圧された様だった。現代の情報過多の状態を講演内容と同時に実体験した２時間半を越える講演。会場を出た後、自分の頭がくらくらしたのを覚えている。
今回の講演で東氏は、文化産業の消費分析と情報と社会の対応関係を語り口として、従来の社会の崩壊と新しい社会構造が成熟されていく様子を力強く語った。

ポストモダンが多様性を肯定したこと。講演の本題はこの歴史的な事件が現代へ与えてきた影響を紐解くことから始まった。まず単純に情報が増え、選択肢として全ての情報が存在をみとめられていく。こうして複雑化した世界の中で翻弄され知能的に限界まで成長しきった近代人は、次第に考えることをある部分で放棄しはじめる。そして自発的に関係し合い管理し合うことで保たれていた従来の社会が変容し始めた。
「面倒くさい。」　この言葉を踏み台にして人は、技術によって社会の安全管理を担保させ始めた。物理的セキュリティーの概念による環境管理型社会、今まで安全で豊かな社会を築くために形成されてきたコミュニティー・地縁が「面倒くさく」なり、崩壊したこれらの穴を技術やセキュリティーが埋めていく。結果、様々な縁が希薄になり、個々人はインターネットなどの媒体を通じて直接世界と接続されてきた。資本や国際化が求めるグローバルスタンダードを前にして、一時的にしろ社会のニーズは世界的に標準化されていくとの見方も出ている。

「まず、現状を認めることが重要だ」
東氏はこの言葉を繰り返した。非常に複雑化した都市。国際化によって独自の文化が消えていくと懸念されるような資本の構造。怠惰な部分を持ってしまった現代人の欲望。負の印象を受けるような問題に対しても東氏の言葉はそれらを否定せず、常に現状として分析する姿勢を保つ。情緒的な部分に流される事もなく、先例に流されない冷静な目がそこにあった。
ハイセキュリティーの高層マンション、ファミリーレストラン、大型ショッピングセンター、コンビニエンスストア、平均的な郊外。私達を含め今の社会がこれらのものを望んでいるのは確かだ。これらに対して建築を考える人間は、何かできる部分があるのではないかと東氏は示唆したように思う。
そして今回、最後の質問で東氏が答えた事が非常に印象的だった。「自分の本当に身近な関係、自分のともだち、その関係も変化すると思いますか？」それは変化を語り時代の流れを語ってくれた東氏に対して、人がもつ普遍的な部分、日常性、自分の本当に身近な問題について尋ねたものだった。環境管理社会となり、現代に言われている血縁家族とは崩壊し批判され解体され、選択的な縁になっていく。そう主張した東氏はこう続けた。「しかし、本当にそうであろうか。」母性、伝統、歴史、実際に誰かと共に住まうある一定の長さを持った時間とその影響力によって生まれる関係性、グローバルな視点の限界。これらについて、現代はまだその解答を本当の意味で作りきれていない。たとえ賃貸のハイセキュリティーマンションであったとしても、そこには時間的に空間の持続力が働く。いくら関係を自由に選択できるといっても一週間に６回引越しするわけにもいかないし、毎日違う人と住むなどということはまずない。隣近所と関係を完全に断絶することはできない。何年かそこに住むうちに、人と人とに関係を与えていく空間と社会が実は少なからず存在するのではないか。東氏は自らの理論の矛盾、空白を最後に議題として提示してくれたように思う。
様々なジレンマや矛盾を巻き込みながら現代社会、現代人に本当に起きている事。今回の講演を通し、その現象に対し建築という分野にいる人間として、冷静な目と未来を構想する力を持って応えていきたいと感じた。
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   <title>市民公開講座（建築）「空間の力—建築の〈顔〉 ？」</title>
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   <published>2008-11-04T04:34:11Z</published>
   <updated>2008-11-25T08:35:02Z</updated>
   
   <summary>日程：12月12日（金） 講師：鷲田清一（大阪大学総長） 司会：山本理顕（Y-G...</summary>
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      <name>Y-GSA Webmaster</name>
      
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      <category term="次回講座お知らせ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      <![CDATA[日程：12月12日（金）
講師：鷲田清一（大阪大学総長）
司会：山本理顕（Y-GSA校長）
時間：18：00～20：30（開場17：30）
会場：横浜市開港記念会館 講堂
　　　（横浜市中区本町1-6　みなとみらい線日本大通り駅 1番出口すぐ）

<a href="http://www.city.yokohama.jp/me/naka/renraku/kaikokinen/">http://www.city.yokohama.jp/me/naka/renraku/kaikokinen/</a>]]>
      <![CDATA[○講師略歴

鷲田清一（わしだ・きよかず）
1949年京都市生まれ。大阪大学総長。哲学をベースに身体、他者、所有、規範、制度などの問題を論じてきたが、近年は「顔」論、モード論の独自の研究領域を開くとともに、現在は哲学の発想を社会が抱え込んだ諸問題へとつないでいく臨床哲学のプロジェクトに取り組んでいる。著書に、『現象学の視線』（講談社学術文庫）、『ちぐはぐな身体』（ちくま文庫）、『めいわくかけて、ありがとう』（講談社、近刊）他多数。1989年サントリー学芸賞受賞。

<a href="http://www.y-gsa.jp/report/photo/ygsa_lec_2008_web.pdf">チラシ（PDF）をダウンロード</a>]]>
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   <title>2008年 建築講座1レポート「足元から見える日本の住宅の可能性」</title>
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   <published>2008-09-29T10:06:51Z</published>
   <updated>2008-11-21T05:29:08Z</updated>
   
   <summary>テーマ：「建築批評」 日時：2008年4月18日（金）18:00〜20:30 講...</summary>
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      <name>Y-GSA Webmaster</name>
      
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      <category term="建築講座" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="26" label="池谷夏菜子" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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      テーマ：「建築批評」
日時：2008年4月18日（金）18:00〜20:30
講師：植田実
会場：創造空間9001（旧東横線桜木町駅舎）
主催：Y-GSA＋横浜市
      建築ができると必ず外側と内側ができてしまう。今回植田先生が話された靴を履く、履かないという上足・下足の問題は、そういった建築の原点を突きながら、様々な風景をより鮮やかに見せてくれた。今回の講演は大きく分けて3つの軸がある。一つ目は海外の住宅と日本の住宅の上下足についての比較。二つ目は日本の住宅の移り変わり。3つ目は上下足の操作による住宅の内と外の関係性の変化である。

最初のスライドはル・コルビュジエの〈ユニテ・ダビタシオン〉の部屋の中だった。建築を学ぶ学生にはよく知られた住居の一つであり、窓回りの様子や階段を見てすぐにその建物だと気づく。しかし植田先生の注目点は、スライドに映る女性の足元へ向く。日当たりの良いリビングでかかとのついた白い靴を履いて椅子にゆったりと座るその様子は、言われてみれば確かに日本では見掛けることがないかもしれない。その次の、草履がきっちり並んだスライドがとても日本らしく見えて新鮮だった。

一般に日本は靴を玄関で脱ぐ文化であり、靴を脱ぐことは家という領域に入るための一種の儀式だとさえ言われる。それは床の仕上げにも表れる。日本には畳があるが、同じ靴を脱ぐ文化を持つトルコの住宅では、絨毯が敷き詰められているという。上下足の違いは生活に深く根ざしている。

次に、日本人の生活は、洋式文化の流入によって変わってきたという話。当初は畳の上に椅子を並べるという和洋折衷のスタイルがあり、ダンスをするための土足スペースが家の中に設けられもした。しかし洋式の生活が取り入れられてもなお、日本人の家の中では靴を脱ぎたいという習性は変わらないようで、間を取ってスリッパのような履物が使われるようになった。玄関にしっかりと設けられた靴箱が、日本人の頑な意思に思えた。新しい生活を目指して靴で生活をした人もいたという例があったが、少数派だろう。

最後に時代は現代に移り、いくつかの住宅の上足・下足問題を見ていく。広く、のびのびとした玄関を持つ家、車が中にあるガレージのような家、靴を履いて離れと行き来する家、土足スペースの中に寝室が浮いている家。現代の靴の在り方は多様化しており、家の中では靴を脱ぐものという日本の常識が破られようとしていた。公の領域と私の領域の境界が揺らいでいるようだ。住宅の中に靴を脱がずに入れるスペースが取り込まれるというのは、住宅に入るバリアが一つなくなることを意味し、都市と住宅が一歩近づいたと言えるかもしれない。逆に家族という枠にそれほど大きな意味がなくなり、より個人化が進んでいる傾向を表しているとも言える。現代においては、靴を履く、履かないのどちらかではなく、様々な方法で靴を履くことを住宅内に取り入れているのだ。

私は、スライドの中にもあった藤森照信の〈秋野不矩美術館〉を訪れた時のことを思い出していた。小さなドアを抜けると靴を脱ぐための大らかな広い空間が待っている。靴を脱いで上がるとひんやりとした敷物、続いて大理石のざらついた床へと部屋ごとの床の仕上げが異なっている。空間の切り替えを足の裏から優しく伝えられるようであり、全身でその場、その時を味わう感覚があった。何より心地良く、最後には美術館の部屋の中心に座り込んでしまった。それは『北風と太陽』の童話で、太陽に照らされて暖かくなった旅人がつい上着を脱いでしまったのに似ている。そこに訪れる人がつい気持ち良くなり、座り込んでしまうのである。とても効果的に、靴を脱ぐということが建築に取り入れられている。考えてみれば、足の裏というのは人間が建築と直に触れる時間が最も長い部分であり、足元の違いというのはその場の感じ方を決める大きな要素である。靴を脱ぐことで空間を把握する次元が一つ上がるような気がする。

文化としての靴を脱ぐ習性、日本人が取り入れ解釈してきた家の中で靴を履くこと、この両方を選択し工夫して取り入れることができる現代の日本人は、より豊かな住環境をつくっていくことができるだろう。
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   <title>後期 都市講座4レポート「透明な都市、横浜」</title>
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   <published>2008-09-29T10:05:06Z</published>
   <updated>2008-11-21T05:29:08Z</updated>
   
   <summary>テーマ：「2007年度都市講座総括：都市の未来」 日時：2008年1月25日（金...</summary>
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      <name>Y-GSA Webmaster</name>
      
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   <category term="25" label="李 俊鎬" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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      テーマ：「2007年度都市講座総括：都市の未来」
日時：2008年1月25日（金）18：00〜20：30
講師：小林重敬（横浜国立大学大学院工学研究院教授）
　　　北沢 猛（アーバン・デザイナー、東京大学大学院新領域創成科学研究科教授）
　　　鈴木伸治（横浜市立大学国際総合学部准教授）
　　　国吉直行（アーバン・デザイナー、横浜市都市整備局都市デザイン室）
会場：横浜市開港記念会館 講堂
主催：Y-GSA＋横浜市
      今年からY-GSAが始まり、「横浜建築都市学」という市民にも開かれた公開講座が行なわれ、今回はその都市講座シリーズの総括であったが、単に1年間の内容をまとめるのではなく、何か我々に対するメッセージを残していったような講演であった。

まず、鈴木先生からこの1年間にどのような講演があったかを、各講演ごとにキーワードを挙げながら総括していただいた。「現代における水辺都市」「アート」「地球規模での経済」「工業地帯の転換」「土木」「コンパクトシティ」「持続性を持つタイポロジー」。これらのキーワードを見てみると、自然と横浜に結びつき、横浜は幸福なのか、あるいは不幸なのか、とにかく考えていくべきことの多い都市なのだと思えた。

日本は島国のため、海沿いに主要な都市が発達したことは不思議なことではなく、横浜の持つモチベーションからしてみると、これらのキーワードを予測していたかのように都市がつくられてきたことがわかる。しかし予測はしたものの、今後どうしていくのかがはっきりとしない。特に埋め立てやマスタープランといった都市の地形となる構想は半世紀前になされ、みなとみらい21地区（MM21）や関内、京浜工業地帯といった集約的な機能空間はつくられたが、そこにどのような都市的な建築空間つくっていくのか、どのように運営していくのかがわからず、戸惑いながら都市の歴史は進んでいる。

講演の中盤からは、国吉先生、小林先生、北沢先生からそれぞれが関わる具体的な活動であったり、都市に対する提案に基づいたメッセージを送ってくださった。また、後半でのディスカッションでもそうだったが、やはり共通して、都市における共有空間の質をどのように高めていくか、そのためには横浜都心部、またその周辺部におけるローカリゼーション、つまりそれぞれの地域性をどのように空間として展開し、さらに外に対して開いていくのかが問われる、というお話だった。

外に対して開くというのも様々だが、小林先生がおっしゃっていた横浜駅周辺部を例えに挙げると、海側への開き方として、駅空間と海との間にあるビルディング地帯を、もっと海の見える開放的な空間にすることで、今の横浜駅東口は横浜の玄関口として捉えることができる。そこからMM21であったり、遠くは東京湾や京浜工業地帯とも連携が取れるのかもしれない。すると、MM21も東と西で機能的に分けることができ、二つを繋ぐ新しい軸が南北へと伸び、今度はその軸が旧東横線を貫き、南にある戸部地区との繋がりができる。繋がりができることで、戸部地区でも何か新しい機能や活動が見られるかもしれない・・・など、地域を開くということは単にその場所の話だけをしているのではなく、都市全体にまで話が広がり、何か全体像まで見えてくるようなことである。一つの地域を考えるということは、全体を考えることでもあるのだ、というメッセージだった。

北沢先生のお話の中では、「社会的包容」というキーワードが強烈に印象に残った。今まで構想されてきた横浜都心部、つまり関内・MM21・横浜駅周辺という横軸に対して、今後は縦軸はどうだ、という議論がなされるという。要は、MM21に対する戸部地区であったり、関内に対する関外であったり、横浜駅東口に対する西口であったりと、今まで評価されなかった内陸部をこれからは「社会的包容」として逆に引き出していく。つまり、海側だけではつくれなかった集約的機能空間を補うための地域として、縦軸における内陸部の新しい機能と既存とを共にドライブさせることで、横浜の全体が見えてくる。

例えば、新港埠頭でのインターナショナルなイベントや展覧会の開催により大きな公共性がつくられるとしたら、JR線から新港埠頭へと繋がる馬車道や北仲地区に、小さな劇場ホールや音楽・アートで溢れるストリートといった小規模多機能空間がつくられ、その軸はイセザキモールへと繋がり、今度はアーティストの生活が溢れ出す住空間やスタジオがバックアップされ、多種多様な住宅街へと発展し、住民の生活の中に公共空間が身近にあるというような、相互依存的な都市構造ができてくる。やはり都市は点で見るのではなく、線や面といった幾何学的な視点が必要だと思えた。

このように、総括と言えども横浜に対するメッセージが込められた講演であったが、それは上記のように横浜は都市を考える上で幸運にも色々な条件や環境に恵まれていること、またこの講義の論題自体が、建築と都市を同時に考えることを求めている、ということが大きく反映する。そういう意味では色々な人が関心を持ち、共に考えていく公的な場が「横浜建築都市学」という名のもとに実際に横浜で行なわれているということも、ただ建築を設計だけしてれば良いのではなく、実際に都市に出て、話して、聴いて、触れて、考えるといった五感をフルに使っていかなければいけないということを、この学校は教えてくれているのかもしれない。
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   <title>後期 都市講座3レポート「これから向かう先」</title>
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   <id>tag:www.y-gsa.jp,2008:/report//8.111</id>
   
   <published>2008-09-29T10:03:23Z</published>
   <updated>2008-11-21T05:29:08Z</updated>
   
   <summary>テーマ：「新しい都市と空間の構想計画その1―工業地帯と郊外地帯を横浜と千葉の情況...</summary>
   <author>
      <name>Y-GSA Webmaster</name>
      
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      <category term="都市講座" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="23" label="百枝 優" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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      テーマ：「新しい都市と空間の構想計画その1―工業地帯と郊外地帯を横浜と千葉の情況から考える」
日時：2007年12月21日（金）18:00〜20:30
講師：北沢 猛（アーバン・デザイナー、東京大学大学院新領域創成科学研究科教授）
司会：鈴木伸治（横浜市立大学国際総合科学部准教授）
会場：横浜市開港記念会館 講堂
主催：Y-GSA＋横浜市
      あるコンペの審査で、アイディアを実現するための仕組み、主体について提案することができずに負けた。最近、多くの建築家が学生のリアリティのなさを指摘している。素晴しいビジュアルを描けるとしても、社会における現実性、仕組みを持ち合わせていなければダメなのだ。

公共・民間・大学の3者が協力して一つの都市をつくる。単一レイヤーによる従来のマスタープランに代わり、いくつものシナリオが重なる中で都市が更新されていく。それが新しい都市と空間を構想する手法なのだと、北沢氏は丁寧に説明された。

「自分のことを幸せだと思っている人はどのくらいいますか？」と始めに会場に向かって質問された。講演の度にしている質問だそうだが、高い確率で「幸福だ」と答えるブータンの人に比べて、日本人はとても少ない。国民総生産（Gross National Product）ではなく、国民総幸福（Gross National Happiness）の向上を目指した国、都市づくりが存在する。これからの日本が目指すものはGNPではなく、GNHであると北沢氏は主張した。そこに向かう都市構想を「工業地帯と周縁地帯」という、二つの環境での実践を中心に講演は進んだ。

「公共が民間を支える」という構図は高度経済成長の頃にできたものであり、それ以前には京浜工業地帯における浅野総一郎氏の計画のように、インフラを含めて計画して、都市をつくっていく「民間が公共を支える」構図が見られた。
成長を遂げ、日本の重工業を支え、やがて衰退期を迎えた京浜工業地帯の土地のそのほとんどは民間が所有している。5％ほどのわずかな土地しか所有していない行政だけによる再生構想には限界がある。そこで北沢氏は主体となるべき民間と行政に対して、7つのシナリオを用意した。それらのシナリオは固定的なものではなく、順番も決まっていない。動きのあるところから入り込み、次々に着手、更新されていく。それぞれのシナリオがオーバーレイしながら工業地帯が生まれ変わるというストーリーが描かれる。

周縁地帯であるTX（つくばエクスプレス）沿線地域の計画では、北沢氏を中心に、千葉県、柏市、東京大学、千葉大学が協力して「柏の葉国際キャンパスタウン構想」を提案した。「環境・健康・創造・交流の街」をコンセプトにした都市の中心に大学が位置し、公民学連携の新しい都市づくりが行なわれている。市民、行政、NPO、企業、大学が恊働して都市づくりを進めるために、「柏の葉アーバンデザインセンター（UDCK=Urban Design Center Kashiwa-no-ha）」が設立された。
公共と民間の両者の関係を調整し、都市づくりの提案、シナリオづくりを行なっていく。行政が信頼する民間企業に都市計画を依頼しているニューヨークの例のように、UDCKもまた、戦略的なシンクタンクとして圧倒的なパワー、専門性、デザイン力で都市計画を担う。おそらく現代においては「民間と公共が支え合う」関係が求められており、両者を繋ぐ中心にUDCKは位置づけられる。多くの専門性を必要とする都市計画において、それらをまとめて空間的に落とし込む専門家としての建築家、都市計画家が必要なのだと北沢氏は言う。

講演の終盤に、山本理顕先生から、UDCKの代表として北沢氏には対価が支払われるべきだという主張があった。北沢氏はセンター長の任期3年をボランティアで行なっている。
人口減少、高齢化など、縮小化していく社会においての建築家、都市計画家の仕事は変化していくだろう。大きな施設を建設する機会は減っていき、固定化したマスタープランでは都市の変化に遅れをとる中で、求められることは何なのだろうか。UDCKのような新しい場に対して社会的認知が向上すれば、従来の建築、都市計画の枠を飛び越えたところに新しい活躍の場が広がっていく。新しい建築家、都市計画家の職能と共に、新しい都市がつくられるかもしれない。
北沢氏に応答して、飯田先生がY-GSAがUDCKのような役割を担う必要性について発言された。敷地を飛び越えて建築を計画する、建築と同時に都市をかたちづくる、計画の実現性を高める仕組みづくりにも取り組んでいく。そうした教育を行なうY-GSAが民間、行政と共に都市を計画していく。開校1年目の終わりに、これから向かうべき目標が確かに提示された。
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   <title>後期 建築講座3レポート「街を愛せ」</title>
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   <published>2008-09-29T10:01:42Z</published>
   <updated>2008-11-21T05:29:08Z</updated>
   
   <summary>テーマ：「住むに値する都市とはいかなる都市か」 日時：2007年12月7日（金）...</summary>
   <author>
      <name>Y-GSA Webmaster</name>
      
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      <category term="建築講座" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="21" label="遠藤貴昭" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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      テーマ：「住むに値する都市とはいかなる都市か」
日時：2007年12月7日（金）18:00〜20:30
講師：関 曠野（思想史家）
司会：山本理顕（Y-GSA校長）
会場：横浜市開港記念会館 講堂
主催：Y-GSA＋横浜市
      今回の講演は3つのキーワードを軸に展開された。
・存続への意志
・負のフィードバック・ループ
・もろい者への配慮

講演の冒頭、関先生は街に愛着を持てるかどうかが問題であり、都市とは「土地に一定の個性があって、住民の存続させたいという意志のもとに存続しているものである」と述べられた。そしてそのような都市として、「ヴェネツィア」と「京都」を挙げられた。

水上都市であるヴェネツィアは地盤の柔らかさに対して、どのように建築をつくっていくかという工夫の上に成り立ち、また温暖化による水面の上昇を乗り切るため、国を挙げての事業が展開されている。
京都は言うまでもなく日本を代表する都市であり、歴史的な神社・仏閣やその街並みで外国人からの人気も高い都市である。明治期に天皇が東京に移ったことで、京都は都市存続の危機に見舞われたが、町民から始まった二つのプロジェクトによって生き残ることができた。一つ目は64もの小学校をつくったこと、二つ目は琵琶湖疎水をつくったことである。存続のための意志が京都を救ったと言える。

関先生は東京と京都を比較して、「負のフィードバック・ループ」を設計することが人が都市に住んでいくための鍵であると述べられ、京都の町屋のコミュニティーを例に挙げて、そのある種の窮屈さや煩わしさを評価し、それに対して、東京の限りなく個人的で自由な姿勢を批判した。自由であることは都市を暴走させる。経済の論理によって都市は膨張し、開発が繰り返される。その結果、都市は個性を欠き、愛着など持ちようもない姿となる。そのような「負のフィードバック・ループ」を持たない都市、つまりそこに住む住民への配慮がなされていない都市においての最初の犠牲者は、高齢者と子供であるとする。
高齢者と子供が住めない都市、「もろい者への配慮」を欠いた東京は、もはや都市ですらないのではと関先生は疑問を投げ掛けた。しかし東京に住む私は思う。東京は京都に比べてあまりにも巨大だ。会場からの質問にもあったように、都市の規模というのは重大な違いである。東京においてはもう少し範囲を絞った、街単位で考えていく方法が有効だろう。

街を単位に東京を見る時、東京の中には様々な個性を持った街がある。私が好きな街がある。「下北沢」だ。私は18歳から20歳までを下北沢で過ごした。私にとって、最初の東京の街だ。下北沢は第二次世界大戦の戦火を免れたことで大規模な区画整理がなされなかったところで、そのため建物も比較的小規模で道路も狭く、街の中心部に自動車があまり入ってこない。言わば歩行者が主役の街である。そこには若者もいれば、昔からの住民である高齢者もいる。車があまり通らないせいか、子供が道で遊んでいる場面に出くわすこともしばしばある。街全体が活き活きとしている。「住むに値する街」であったと私は考える。

今、「住むに値する街」であったと、あえて過去のこととして下北沢を語った。なぜなら前述したような下北沢の街は消えていこうとしているからだ。大規模な区画整理が行なわれ、道路が街を縦断する。駅前に車が入り、建物のスケールも大きくなる。「もろい者」が街から締め出される計画だ。住民からの反対運動もあった。街を「存続させようとする意志」は大きな渦となったが、開発側の主張である大規模道路建設によって「道路を繋げること」、下北沢のエリアだけ都心部との道路を切断するわけにはいかないという、街の単位を超えたもっと大きな都市計画の波に呑み込まれようとしている。私は今回の講演を聞いて、街という単位にもっと重きを置くべきだ、高齢者と子供が住める街をつくっていくこと、そのような街と街とが繋がって「住むに値する都市」をつくるのだろうと、改めて考えた。
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   <title>後期 都市講座2レポート「問う者」</title>
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   <published>2008-09-29T09:57:13Z</published>
   <updated>2008-11-21T05:29:08Z</updated>
   
   <summary>テーマ：「Building-Thinking-Building」 日時：2007...</summary>
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      テーマ：「Building-Thinking-Building」
日時：2007年11月30日（金）18:00〜20:30
講師：フェリックス・クラウス（建築家、Claus en Kaan主宰）
司会：鈴木伸治（横浜市立大学国際総合科学部准教授）
会場：横浜市開港記念会館 講堂
主催：Y-GSA＋横浜市
      まだ幼い甥や姪からは時折驚くような質問を浴びる。大人なら疑問にすら思わないような、何か根本的な本質を突いたような質問で、何と答えたら良いのかわからず言葉に詰まる。フェリックス・クラウスの問いはそれに似ていた。
まず、学生の頃に考えていたこととして「建築とはそもそも何であるのか」、そして今日建築家として考えることとして「建築のあるべき姿、建築家がどういう存在になるべきなのか」という二つの問いを皮切りに講演会は始まった。

彼は自身の問いに建築という媒体を通して答える際、「料理人のような、医者のような建築家になる」と言った。彼は建築と料理が似ているとして、「料理においてはシンプルなものでも美食の域へと達せる」とポール・ボキューズを例に挙げた。この精神はシンプルなもの（プラン・マテリアル等）を中心に据えた彼の建築にも見られる。また、監獄のようなホテルなどを「馬鹿げたプログラム」と言い放った上で、独自の調理法によって美食へと変貌させる。
医者は真面目で真剣であるべきであり、芸術性は必要なく、プロとしての責任が欠かせない職業であると述べた。講演中も幾度か「建築家の責任感」という言葉が発せられた。建築家の責任として、建物の改修、再利用に関わること、アーバンデザインに取り組むことの2点を挙げた。医者として彼を見るならば、手術によって一発で広範囲を治療する西洋的医学と鍼灸によって一点からじわじわと効果を拡大させる東洋的医学の両者を使いこなすことができる医者のようだと、彼の作品の説明を聞きながらそう感じた。

さらに彼の口から、驚くべき自身に対する問いが投げ掛けられた。「これらは建築と呼べるのか否か」。自分の作品を前にして、これは「建築なのか？」と問う建築家や学生がいるだろうか。自分が建築家や建築学科の学生である以上、そのアウトプットは建築であると、自動的に判断するのが常ではないだろうか。
彼の学生時代の問いと通じるものを感じ、建築家としての姿勢がいまだに変化していないことを実感した瞬間であった。

自分自身や他者に問い掛け、設計を通して答える姿からは、今回の講演会のタイトルである「Building-Thinking-Building」というよりも「Asking-Thinking-Building」に近いのではないかという印象を受けた。そしてそれが幾度となく繰り返されることにより、彼の作品は繊細さを増し、建ち現れてくる。芸術性や美しさを念頭に置いていない彼の作品を見た時に、それでもなお美しいと感じるのは、幾度もの「Asking-Thinking-Building」が集積し痕跡として表れてきているからではないかと思う。
一方で彼は、その痕跡が見られない作品を嫌う。彼が学生時代に尊敬していた建築家が、中国、ドバイ、ロシアなどの独裁者のためにつくっている建築をスライドに映し、「空虚さしかない」と嘆いた。私は、日本の都市や建築に対して同じことを感じる。「資本」という名のバック・ミュージックに合わせ踊り続ける東京などの大都市、そしてその中でアイドル的存在として期待されている六本木ヒルズなどの建築には、果たして誰に対して問い掛け、何度「Asking-Thinking」を繰り返したのかと疑問に思うところが多い。

最後にル・コルビュジエの〈ユニテ・ダビタシオン〉のスライドを映し、「マルセイユのそれは素晴らしいが、他の4箇所のものは自己模倣による失敗作だ」とし、僕ら学生に対して「目の前にしたものを決して模倣してはならないと」注意を促した。その一方で「今までに生み出されたものや蓄積された知識のすべてを活用し、自分たちの分野で活かすべき」と述べた。彼は自身の作品において視覚的、科学的側面でそれを実行していることを示してくれた。模倣と引用・参照の差異は、得た情報を自分なりの問いに変換し、自分のフィルターに通したかどうか、そこにあるように思う。

「建築に関わる者として、一生懸命に取り組み、その中でできるだけ楽しむこと」と、こう彼は講演を締め括った。「あなたは今、楽しんでやっていますか？」そう僕たちに問うているような気がした。
彼の表情、言葉がつくり出した空気に、いつの間にか包みこまれていた時間であった。
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   <title>後期 都市講座1レポート「個人的な『リスク』を越えて」</title>
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   <published>2007-11-26T10:10:25Z</published>
   <updated>2008-11-21T05:29:08Z</updated>
   
   <summary>テーマ：「都市と経済の合体―横浜モデルの栄光と凋落」 日時：2007年10月23...</summary>
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      テーマ：「都市と経済の合体―横浜モデルの栄光と凋落」
日時：2007年10月23日（火）18:00〜20:30
講師：根本祐二（東洋大学大学院経済学研究科公民連携専攻教授）
司会：小林重敬（横浜国立大学大学院工学研究院教授）
会場：横浜市開港記念会館 講堂
主催：Y-GSA＋横浜市
      建築、都市というものを市場経済、投融資という側面から考えることはとても新鮮だった。投資という分野には「リスク」という言葉がある。建築や都市ではなかなか耳にしない、より実質的で、現実的な言葉だ。根元氏の講演の中でとても印象的に残ったのがこの「リスク」という言葉だった。

投融資とは、その地域の将来に対するリスク負担であり、地域の将来像が確かなほど、よりレベルの高い経済活動が誘致できるという。それは地域がどれほどガバナンスされているのか、つまり法律・条例、政治、市民、産業などをパラメーターとした際に、どれほどその地域が安定しているのかを意味する。そして投資する側から見たとき、地域環境が安定していることで、投資に対するリスクが小さくなり、市場価値が高まるということだった。
　その実例として、京都市の景観条例が挙げられた。京都では建物の外観、高さ、屋上広告などに関する条例が厳しい。一見すると法的な規制が増えることで、建設可能な建物の範囲が小さくなり、経済活動は弱くなるように思える。しかし、隣の土地にある日突然奇抜な建物が建ち、景観や雰囲気を壊すということがなくなり、その場所に投資するリスクも小さくなることで、市場での価値は高くなるのだ。つまり、自分の投資行動に影響を与えるのは投資対象だけではなく、その周辺環境もまた、大きく影響があるのだという。このように市場経済において、建築という投資対象が、周辺との関係から語られることがとても興味深かった。

しかし、それならば投資を行なった瞬間から、自分自身が周辺環境の一部となることを忘れてはいけないだろう。近年、みなとみらい地区に開発されているマンション、オフィスビルは、周辺環境の一部として自覚されているようにはどうしても感じられない。というよりも、できるだけ建物内で自己完結できるように、周囲から独立しようとつくられている。そこに「リスク」という言葉の限界を感じてしまう。たとえ敷地内ではある程度のリスクを背負ったとしても、それが街区や地域レベルで見た際に還元されるビジョンをつくることはできないのだろうか。
　経済的な還元や建築・空間的な還元、人の活動からの還元など、さまざまなアプローチがあると思う。公開空地に対する容積率緩和は、その建築・空間的な答えのひとつと考えられる。しかし現在の公開空地の制度では、ただ建物周辺に空き地が設けられているだけという場合もある。建物と敷地、そして周辺環境の関係に関わる制度が必要であり、もっと色々な可能性が建築や経済の両方から考えられるべきだと思う。

講演の中で話されていた、横浜市によるみなとみらい21地区の「地価固定式」は、経済的な面から考えたビジョンに繋がるように思う。「地価固定方式」とは、横浜市がディベロッパーに土地を売る際に、常に一定の価格で販売する方式のことだ。開発・再開発を通して、ディベロッパーが利益を得るためには、実勢地価と譲渡価格の差がどれほど大きいかが大切になる。つまり土地をできるだけ低価格で購入し、最終的な建物の価格をできるだけ高くすることが必要となる。その差額が質の高い投資、良質な建築を生みだすのだという。
　ただ、質の高い投資というものが、結局建物単体の利益の追求だけに終わってはいけない。超高層マンションは良質な居住設備が取り付けられ、セキュリティ・ゲートに囲まれ、確かに質の高いマンションであるのかもしれない。しかし、質の高い投資が周辺環境から独立した自己利益のみにしか働いてないのは、あまりに無責任だ。

確かに建物が周辺環境と関係を持つことは「リスク」が高いかもしれない。しかし、建築が与える周辺への影響は大きく、無視することはできない。だからこそ建築家や都市計画家は「リスク」という消極的な言葉を越えて、実質的な「リターン」の可能性を常に考えていく必要がある。それは単なるエゴや空想ではなく、非常に現実的だけれども、非常に創造的なことだと思う。
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   <title>後期 建築講座1レポート「環境の広がる先に」</title>
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   <published>2007-11-01T12:09:30Z</published>
   <updated>2008-11-21T05:29:08Z</updated>
   
   <summary>テーマ：「新しい環境」 日時：2007年10月12日（金）18:00〜20:30...</summary>
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      テーマ：「新しい環境」
日時：2007年10月12日（金）18:00〜20:30
講師：妹島和世（建築家、妹島和世建築設計事務所主宰、SANAA事務所共同主宰）
司会：西沢立衛（Y-GSAプロフェッサー・アーキテクト）
会場：横浜市開港記念会館 講堂
主催：Y-GSA＋横浜市
      ものをつくることにおいて、ときには動物的な感覚が必要である。それはアートの世界においては確実に評価されるが、一方で、機能をも求められる建築のなかでは評価され難い。しかしその動物的感覚が、ある種の普遍性を帯びながらかたちに表現され、建築を活き活きとさせていく過程が、妹島先生のプロセスには見られた。その中で「新しい環境」をつくり出すような「ソフト」な建築の在り方を見ていきたい。

初めに妹島先生の近作が紹介された。スライドを見ていくと、各プロジェクトのプロセスは次のようにして進む。まずは周囲のコンテクストを読み取ることで大枠をつくる。そのなかで、空間を自由に曲げてみたり、抜いたり畳んだりしながら展開していく。すべてのプロジェクトが何もない状態からスタートしているように思えた。
　そしてそのプロセスについてほぼ一貫して言えるのは、周辺環境の説明から「カーブ」という言葉がキーワードになっていることである。その言葉は形状という意味を飛び越えて普遍的な意味をもっており、その意味には周囲の環境やプログラムが関連づけられ、各々のプロジェクトにおいて特別な意味に変わっていく。さらに建築空間は、妹島先生の個人的な思いにより、断片的なシーンがヒューマン・スケールのなかでつくられていく。その断片的なシーンが連続していくことで全体が見えてくる、というような建築のつくり方がなされていた。
　そして断片的なシーンが集まることで、全体に散らばる感覚が生じていくように感じられた。それは活動領域を多方向に生じさせ、そこには大きな繋がりのなかでばらばらに活動している小さな都市の性質が垣間見えた。

一方で、都市に建築をもち込もうとするとき、都市生活と建築の関係を、能動的な「繋がりたい」という言葉で表現されていたことが印象的だった。主観的な感覚から建築を表現していくようなやり方には賛成しかねるが、各プロジェクトで感覚を無意識のうちに都市生活に落としていく操作がなされていることには同調させられた。なぜならその主観的な感覚がプロジェクトのなかで一貫性を保っていることで、建築の内側で考えることと、外側での（外側からの）建築の在り方に連続性を生み出していたからである。結果としてそこで行なわれる生活が、建築の内と外での体験を、より等価に近づけていると思えた。
　環境とは取り巻くさまざまな事物や現象の総体として捉えられる。そのため、いくつもの異なる見地から視線を向け、それらを束ね合わせるようにして環境を読み解いていくことが重要である。

妹島先生は西沢先生との対談のなかで、プログラムと環境が溶け合ったものが、そのままかたちになっていくことが理想であると述べられていた。すると〈金沢21世紀美術館〉の「丸」や〈ニュー・ミュージアム〉の「四角」と、〈大倉山の集合住宅〉などで用いられた「カーブ」の意味合いは大きく違ってくる。つまり躯体としての建築の「ハード」にプログラムを与えることと、形状に「ソフト」な意味をもたせて、環境とプログラムを同時に考えることである。それはプログラムという建築を語るときの空間のもつ機能という意味から、ひとつ飛び越えたプログラムの概念を提示することが必要なのではないだろうか。
　機能で規定されている空間以前に、人間の動物的な感覚が生む環境が「カーブ」という空間を生じさせ、そのなかで流動的な生活が建築の内外に広がっていく。そのような体験がさまざまな環境のなかで建築の在り方としての解のひとつとしてあり、また周辺の新しい環境をつくっていくように思えた。
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   <title>前期 都市講座4レポート「都市の未来をつくるもの」</title>
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   <published>2007-10-29T12:15:24Z</published>
   <updated>2008-11-21T05:29:08Z</updated>
   
   <summary>テーマ：「欧州コンパクトシティとその現実」 日時：2007年7月13日（金）18...</summary>
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   <category term="14" label="横木 真" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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      テーマ：「欧州コンパクトシティとその現実」
日時：2007年7月13日（金）18:00〜20:30
講師：岡部明子（千葉大学工学部デザイン工学科助教授）
司会：鈴木伸治（横浜市立大学国際総合学部准教授）
会場：横浜市開港記念会館
主催：Y-GSA＋横浜市
      建築は、都市の未来をつくれるのだろうか。

「コンパクトシティ」とは、都市のスプロール化を抑え、市街地のスケールを小さく保ち、徒歩で行ける範囲を生活圏ととして捉える、ヒューマンスケールな都市領域を目指して近代に作られた都市概念である。
　岡部氏は講演の初めに、「コンパクトシティというものがどんなものなのかを多面的に知り、自分なりに考えられるようになって欲しい」と話された。その言葉通り講演は、さまざまな角度からコンパクトシティに関っていく。そしてそれらは、近代につくられた概念とは異なったものとして語られていた。

かつてのコンパクトシティが、どの都市に対しても有効な一般性をもった概念として、また全体形をもったマスタープランのようなものとしてつくられていたのに対し、今回の講演で語られるコンパクトシティは少し違い、一般性をもった概念というよりは、もっと現場感覚とでもいうような、個別の解答として紹介された。
　その最も端的な例が、欧州の人口減少に対する都市政策として紹介されていた、「パーポレイション」という手法である。都市領域が縮小するときに、スムーズに縮小することは難しく、都市に穴が空いていく。その穴の空け方が問題なのだが、このパーポレイションでは、人口減少で人のいなくなった地区において建物を撤去し、緑へと換えていくということが行なわれている。撤去すべき建物は周辺環境のことを考えながら、現場合わせの感覚で決められていく。他に紹介された事例も、多かれ少なかれ現場合わせの側面をもち、つまり部分から都市を考えており、近代のような全体を決定するモデルや概念を強く感じられることはない。

現代の都市に生きる僕らにとって、都市というものは前提条件であり、都市そのものを自分たちがつくり出していくという感覚はない。そのとてつもなく巨大で複雑なものは、全体形などはもたず、常に変化していく。その変化こそが都市なのかもしれない。
　絶えず変化していくものに対して、全体形をもち、形態をもつ近代の都市モデルや概念といったものは、もはや無力なのではないだろうか。岡部氏も質問に対して、「コンパクトシティという概念を一般化することはできない。相対的に自立している状態である」と語っていた。これはコンパクトシティのみならず、近代につくられたすべての都市モデルや概念に当てはまることだろう。

近代の建築家たちは、モデルや概念をつくることで都市の未来をつくる、もしくは見せてきた。現代の建築家たちは、都市の未来に対して何ができるのだろうか？現代の都市に対応した新たな都市モデルをつくることだろうか？そんなはずはない。そのヒントがこの講演のなかで語られた。
　僕らに現代の都市そのものをつくりかえることは、既に不可能だ。それに意味がない。僕らにできることは、部分から都市に関っていくことだ。都市はすでに一般性をもたず、常に特殊解を求めている。そこでは近代の概念は通用せず、むしろその枠組みや制度は、都市を、そして僕らを束縛している。しかしその束縛にすら気付いていない。僕らは建築という都市を構成している部分を通し、可能性を見せなければならないのだ。
　ときに制度や枠組みを壊しながら束縛を解き、新たな状況を喚起する。この都市における新たな可能性の提示こそが、現代の建築家に求められていることではないだろうか。僕らは建築を学び、都市を考えていく者として、何より都市に居住する者として、都市空間における新たなアクティビティを喚起していかなければならない。僕らの創造力が試されているのだ。

建築をつくることは未来をつくることである、はずだ。
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   <title>前期 建築講座4レポート「僕らの未来はどこにあるのか」</title>
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   <published>2007-10-29T11:53:58Z</published>
   <updated>2008-11-21T05:29:08Z</updated>
   
   <summary>テーマ：「建築の新しさとは何だったのか」 日時：2007年7月6日（金）18:0...</summary>
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   <category term="12" label="田中裕一" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
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      テーマ：「建築の新しさとは何だったのか」
日時：2007年7月6日（金）18:00〜20:30
講師：松山厳（作家、評論家）
司会：飯田善彦（Y-GSAプロフェッサー・アーキテクト）
会場：東京芸術大学大学院映像研究科 馬車道校舎
主催：Y-GSA＋横浜市
      「建築の新しさとは何だったのか」第一回建築講座の伊東豊雄先生による「建築の新しさとは何か」に因んで、今回の講演のテーマが設定されている。
伊東先生が、純粋な空間の力、新しい建築の可能性を示してくれたのに対し、松山先生は、歴史学的な視点をもって、新しさを求める先に未来はないという現実を突きつけ、建築家を目指す僕らに警鐘を鳴らした。

松山先生は唐招提寺から話を始め、その歴史を調べていくと日本固有のものではなく、他の文化と交流しながら更新を繰り返してきたと述べられた。つまりそれは、新しさを求めての更新ではないということだ。
　話は明治時代に入る。文明開化を経て、「科学技術・メディア・資本主義・人々の欲求」が新しいことに価値をもたらす。松山先生はここに「新しい建築」という概念の現れを見る。科学技術や情報は新しいことこそがその価値であり、メディアは新しさを広告し、人々は新しさを欲する。そして資本があれば新しいものが手に入る。資本主義の社会の中で、新しさを欲する人間の欲望は自己増殖しながら現代へ続き、その行き着く先が超高層ビルであるという。

松山先生の論理はとても鮮やかで、僕らがなんとなく感じている超高層ビルへの危機感に対して、歴史の流れの上にある現実を突きつけると共に、超高層ビルを真っ向から批判する。そして「新しい建築」の行き着いた先である超高層ビルの孕んでいる問題を示された。
　緩和政策によってもたらされる空間の資本化、災害時の問題、ヒートアイランドの問題、そしてさらには建築にデザインがなくなるという。時代の流れが超高層ビルに行き着いたのだとしても、僕らが日々考えている建築の未来はまた別のところにあるはずだ。
　松山先生の述べられたように、時代の流れを俯瞰的に見たときには、「新しさ」の行き着く先は超高層ビルであるかもしれないが、建築家や僕ら学生はそのような建築を目指しているのではないはずだ。松山先生はあくまで今という時代のスピード、メディア、資本、欲望に絡め取られた新しさの先に未来はないと言っているのだ。そして建築の6つの規則を提示し、その中で10年、20年後の時代においても耐える建築が未来をつくっていくのだと言われた。

僕らは、社会をなんとか変えて見せよう、素晴らしい未来をつくり出そうと毎日スタジオでもがいている。そして同時にその情熱は、「新しい建築」「新しい風景」「新しい何か」を求めてしまう。僕らは伊東先生の示すような建築の力、新しい建築を信じながら、一方で松山先生の述べられた新しさの先の危険性を自覚し、未来を見据えていかなければならない。新しい建築を求める創造の情熱と、現実と未来の社会を冷静に見定める目をもつ必要があるのだ。
　「新しい建築」とは果たして何なのか。その答えはまだ見えそうにないが、僕らは自らのつくる建築を信じて前に進むしかない。その先の未来において、初めてその建築の果たした役割が見えてくるのだろう。「建築をつくることは未来をつくることである」これはY-GSAの掲げるマニフェストだ。ひとまず、この言葉を信じて突っ走ってみようと思う。
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   <title>前期 建築講座3レポート「建築家という職能は、公共性をもちうるか」</title>
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   <id>tag:www.y-gsa.jp,2007:/report//8.69</id>
   
   <published>2007-10-29T11:52:58Z</published>
   <updated>2008-11-21T05:29:08Z</updated>
   
   <summary>テーマ：「公共建築は誰のためのものか」 日時：2007年6月15日（金）18:0...</summary>
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      <name>Y-GSA Webmaster</name>
      
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      <category term="建築講座" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   <category term="17" label="谷口晋平" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.y-gsa.jp/report/">
      テーマ：「公共建築は誰のためのものか」
日時：2007年6月15日（金）18:00〜20:30
講師：上野千鶴子（社会学者、東京大学大学院人文社会系研究科教授）
司会：山本理顕（Y-GSAプロフェッサー・アーキテクト）
会場：横浜市開港記念会館 講堂
主催：Y-GSA＋横浜市
      旅行に行った。目的地までは車で走ったが、地方の幹線道路沿いというのは、どこも同じような景色ばかりだ。道路沿いに巨大なショッピングモールと、それに隣り合った市営のスポーツセンターを見た。道路は畑の真ん中を突っ切っている。
　「公益」のために引かれた道路と、「民意」を反映して誘致されたショッピングセンター、「市民」のためのスポーツセンター。ほんの数年前までは、田畑が広がるだけだった場所が、経済市場からの要請と密接に関係した公共事業というカタチで、風景を一変したのだろうと勘ぐる。
　「公共性」というと、どこか信憑性に欠ける、と多くの日本人は感じているのではないかと思う。日本では「公共性」という言葉が、官やお上といわれる行政の、公的権力が意思を通すときの用語として使われてきたという意識が深く根付いているからではないか。私たち日本人の耳には、ネガティブな語感として「コウキョウ」という音が染み付いてしまった。

上野千鶴子さんは今回のレクチャーで、新しいタイプのケア施設の調査に基づく「協」という概念についてお話しされた。公益の担い手として、「官（行政）」のみに期待するのでは無理がある。かといって「民（市場）」に頼ってもお金が掛かり過ぎる。そんななか出てきたのが、公益の担い手として市民がつくるセクターである、「協」。「私設される公共性」と言い換えることができるだろうか。従来の「官」対「民・私」の構図に、新たにこの「協」を加えた福祉多元社会の可能性についてのレクチャーであった。
　公共性を「官」や「民」だけに期待していては、こぼれ落ちてしまうニーズが溢れている。そうしたなかで、上野さんがおっしゃる通り、「協」のような新しい公共性の在り方が有効であり、必要不可欠なものとなってくるのだろう。それは私たち生活者が、自発的に生み出す公共性である。

さて、問題はその新しい公共性に対して、どんな空間が必要とされるのかという議論だ。上野さんは、「空間は関係ないのでは」と言われた。そして「建築家たちは、それをつくってみせてください」とも。
　山本校長は、建築は新しい概念を空間として検証する、ある種の実験装置だと言う。そのように常にオルタナティブを提案し続ける体力は、建築家としての職能になくてはならないものだろう。しかし同時に、今生きている生活世界を注意深く観察する目も、もたねばならない。闇雲に行なう実験からは何も生まれないからだ。
　「新しい形態」「新しい空間」という言葉をよく耳にするが、そもそも何のための「新しさ」なのか。その議論が欠落しているのではないのかと感じることがままある。行政や経済などといった社会システムは不可視のものだが、ときにその末端が物理的なカタチ（道路、ショッピングセンター、スポーツセンター）として私たちの生活世界のなかに現れる。
　かつて建築家が特権的な職業だと感じられた時代があったのなら、それは不可視の社会システムと、人々の生きる生活世界とを行き来していたからだ。建築家という職能が、社会的な存在たりうるのか、あるいはただの「建築デザイナー」に成り下がるのか。社会的な存在たる、ということは、ある種の公共性を、職能そのものに纏うということだ。

車は左折して、スポーツセンターの脇を通り過ぎる。その裏側には真新しいアパートや戸建ての住宅が建ち並んでいて、それらに切り取られるように残った小さな畑で、農作業をしている老人がいる。おそらくもう生産性のない畑だろうが、素人目にもわかるほどきれいに手が加えられている。
　そこに不正があったわけではない。むしろ畑を売って、その家は裕福になり、幸せだと感じているのかもしれない。だからこそ難しい。社会のシステムはこういう場所にまで深く根を張っているのだということを、そのときようやく実感した。建築家はこういうところにこそ、飛び込んで行かねばならないはずだ。
　建築あるいは都市をつくるという行為すべてに、公共性に対する責任が発生するのだ。その意味を今一度確認しなければならない。そして公共性のカタチそのものも、時代と共に変化している。事態はひとりの人間が把握しきるには到底不可能なまでに複雑だ。そのとき、上野さんのような社会学者の言葉が、何らかの示唆を与えてくれるだろう。
　レクチャー終盤に上野さんは、「社会学者と建築家は同じ方向を向いたライバルである」とおっしゃった。そしてそれはときに、心強い同志でもある。
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   <title>前期 都市講座3レポート「種を蒔く人」</title>
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   <published>2007-10-29T11:37:50Z</published>
   <updated>2008-11-21T05:29:08Z</updated>
   
   <summary>テーマ：「建土築木」 日時：2007年6月25日（月）18:00〜20:30 講...</summary>
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      テーマ：「建土築木」
日時：2007年6月25日（月）18:00〜20:30
講師：内藤廣（建築家、東京大学大学院工学系研究科社会基盤学教授）
司会：北沢猛（アーバン・デザイナー、東京大学大学院新領域創成科学研究科教授）
会場：BankART 1929 Yokohama
主催：Y-GSA＋横浜市
      近作が次々とスライドで映し出され、そのとき考えていたことを語る。建築家の講演なのだから、今回もそのようなものを想像していたのだが、まったく違った。それは内藤氏の建築作品の紹介というより、長期にわたる地方での活動全体、もっと言えば彼の生き様そのものが語られたような講演会であった。

「後ろの人、見えないでしょう」最初にそう言って立ち上がると、最後まで立ったまま講演を続けられた。がらんとした天井の高いホールにひとりだけぽつんと立ち、諭すように語りかける。講演は内藤氏の幼少期とその頃の横浜の様子から始まった。講演者が自らの生い立ちや幼少時代などをここまで詳しく語ったのは、全8回のこの市民公開講座を通してもこの回だけだろう。
　私的な境遇に加えて、戦後間もない当時の時代背景によって心に刻まれたある種の喪失感が、自らに建築家という道を選ばせたのだと自身を振り返る。あの時代、煤けた喪失感の先には、誰もがピカピカに輝く未来を夢見ていただろう。焼け野原に、力強く立ち上がっていく構築物たち。建築や都市、さらには社会や文化とはすでに用意されているものではなく、これからつくられるものだ。そして今ここにいる自分たちは、それを築き上げていく当事者である。そんな幸福な実感と共に、日本は成長を続けていったはずだ。
　それから半世紀ほど経ち、日本は成熟期を迎えた。2005年にはついに人口が減少に転じ、「潮目が変わった」という内藤氏の言葉通り、戦後に匹敵するような時代の転換期が始まった。あらゆる分野で既成の仕組みがぎしぎしと音を立てて崩れ始めているにも関わらず、建築はバブルの惰性に引きずられ、今本当にすべきことは何なのかを追究しないまま、制度の内側に自閉した建築世界の中で「建築的無意識」に埋没して、私的な価値を再生産している。土木という建築の外側に身を置くことで、より鮮明に見えてきた、そのような建築界の傲慢な姿勢に危機を感じて、内藤氏は閉じた建築を「風景」に向かって開こうとしたのだった。

モダニズムの建築が大地から切り離された純粋さを求め、都市においても抽象化された航空写真に線を引く、まさに空から降ってくるような都市計画であったのに対して、風景はどこまでいっても地べたに這いつくばっている。分業化と専門化の行き過ぎによって協調性を失っていた建築と土木だが、風景を見る眼差しで辺りを眺めてみれば、両者を隔てる境界などそもそも存在しないことに気付く。
　講演会のテーマである「建土築木」という言葉は、文字通り膠着した建築と土木というふたつの塊を解体して、風景というスケールをもって互いをひとつにまとめ上げることへの意思表明だろう。下からの視点で、今ここにある物事の具体性からすべてを始めようとするそれは、場所や状況の独自性を蹴散らすように大きな問題を大きく解くのではなく、大きな問題から小さな問題までをそのつど丁寧に解いていくことを目指す。その舞台となるのは、世界経済のマネーゲームに沸く華やかな大都市ではなく、人口減少と少子高齢化が止まらない日本の行く末がすでに目に見えるかたちで現れている、壊れかけた地方都市である。大都市を飾り立てるような建築ではなく、「もっと地方に目を向けて欲しい」と内藤氏は語る。

講演会では宮崎県日向市でのプロジェクトを例に挙げ、具体的に語られた。地元の小学生や若手建築家、他分野の技術者たちとのワークショップや協働のプロセスが内容の大半で、内藤氏の作品紹介はあっけないほどささやかだった。
　まずソフトがしっかりと運営され、持続される枠組みを整えること。活動の容器としてハードが与えられるのはその次でよい。建築に辿り着くまでの長い道のりこそが、真の建築家の仕事である、あたかもそう主張しているかのようだ。こうした仕事には長い時間が掛かる。一個人がすべてを一気に作りきることなど土台無理で、多くの人々と意思を通わせ、力を合わせなければつくれない。
　土を耕し、種を蒔き、欠かさず水を与え、手入れを怠らず、長い時間を掛けてようやく実るものだ。内藤氏は派手な作品で話題をさらうスターアーキテクトではなく、風景の「種」を蒔く人になろうとしているのだと思う。「僕はもう建築家として終わっているかもしれない」と呟きながらも、そういった志をもつ人が、もっと増えて欲しいと切に願っているはずだ。農業のように、地道で朴訥な、しかし地に足の着いた誠実な建築家の仕事が、これからは真に必要とされるのだろう。そうやって初めて、地の底から湧き上がってくるような風景は培われるのだ。
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   <title>前期 都市講座2レポート「自然なアートの力」</title>
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   <published>2007-10-29T11:36:50Z</published>
   <updated>2008-11-21T05:27:58Z</updated>
   
   <summary>テーマ：「アートから都市を構想する」 日時：2007年5月25日（金）18:00...</summary>
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      テーマ：「アートから都市を構想する」
日時：2007年5月25日（金）18:00〜20:30
講師：吉本光宏（株式会社ニッセイ基礎研究所芸術文化プロジェクト室長）
司会：鈴木伸治（横浜市立大学国際総合学部准教授）
会場：横浜市開港記念会館 講堂
主催：Y-GSA＋横浜市
      「都市はアートで変わる」そう確信できる講演であった。アートは非常に抽象的で、領域の判断が困難なものである。しかしアーティストやデザイナーは数多く存在するが、真のクリエイターというのは、わずかしかいないのではないだろうか。そう、新しいシステムや街をも引き込むような、本物の感動をつくれる人々は。今回吉本氏が日本を含め紹介した世界のクリエイティブシティは、そんな本物の感動を生み出した人々・街であった。

「クリエイティブシティ」は元々イギリスのシンクタンク「コメディア」の代表、チャールズ・ランドリーが提唱したものである。ヨーロッパ各地では、重工業からサービス産業へという脱工業化に伴って衰退した工業・港湾都市を、芸術文化によって再生しようという動きが活発で、各地で数多くの成功事例が誕生しているそうだ。
　吉本氏は現在、日本の文化政策を取り巻く環境の変化として3つの変化を挙げている。まずは、教育・福祉・ソフトパワーや趣味・鑑賞対象の社会サービスなどによる、文化政策の対象領域の拡大である。この領域の拡大化に伴って、アートが活躍する場が広がるのだ。
　ふたつ目として、アートNPOの台頭、指定管理者制度に伴う公立文化施設への民間参入などによる、文化政策の担い手の多様化である。これにより、新たな公共としてのクリエイティブシティが、文化的な都市経営を可能とする。
　最後に、コンテンツ産業や脱工業化で衰退した都市がアートで再生する成功例を生むことで、文化政策が都市政策・産業政策と結びついていくということがある。横浜では旧第一銀行の「BankART」や旧関東財務局の「ZAIM」など、既存の建物をアートのための空間に転用したり、そのような場所を基点としたイベントが行なわれている。他にも金沢・大阪・福岡など、そのような環境の変化は徐々に浸透している。しかしながら、まだまだ日本では海外に比べてその速度が明らかに遅いと言わざるを得ない。

では海外では、実際にいかなる戦略で、どのような成功例をつくり上げていったのだろうか？吉本氏は前述の日本の都市を含め、EU諸国のクリエイティブシティの事例を挙げたが、ここではイギリスとドイツの成功例を取り上げたい。
　イギリスのニューカッスル・ゲーツヘッドでは、脱工業化し衰退した街に、幅54m、高さ20mを誇る〈北の天使（angel of the north）〉が制作された。彫刻家アントニー・ゴームリーによる鋼鉄製の天使をモチーフとし、鉄鋼・造船の技術を用いた彫刻で、その横幅はアメリカ合衆国の〈自由の女神像〉を横にしたよりも長い。ゴームリーは「抱擁の感じ」をつくり出すためだったと述べているそうだ。完成当時は批判の声もあったが、徐々に街の人々に受け入れられ、今ではシンボルとなり、街に新たな風を吹き込んだ。
　またロンドンでは、サーカス芸術として、廃材を集積させて象や女の子の巨大な造形物をつくり、街を練り歩くイベントが行なわれている。街の交通はストップし、警察も協力して、ロンドンの街全体でその巨大な人工物の動きを見守っている。それは単に祭的なものではなく、廃材を利用することで環境へのメッセージを放ち、そこには一貫したストーリーが展開され、感動のクライマックスが待っている。
　さらにドイツのルール地方エッセンのツォルフェライン炭坑では、巨大な産業遺構をアートセンター、デザインセンターに再生している。

このような世界の成功例の背景から、私は人間のつくるアート、いわゆる「人工物」が、人々や街を感動の渦に巻き込むほどの力を放つときというのは、アートという「人工物」がある境界を越え、「自然」に近い位置に到達したときなのではないかと感じる。
　街を歩いていると、本当によい建築というのは、まるでそこに生えてきたかのように場所に馴染むように感じる。「自然」は人工的につくることは不可能であるが、その距離を近づけることは可能であり、同化する場合さえある。アートは人と街と自然、その隙間を融和する力を秘めており、場所に力を与え、人に記憶を、街に歴史を残す。アートに強い思いを吹き込み、想像をはるかに超えた次元へ到達したとき、人は感動し、街は表情を変える。
　アートは建築とは異なるかたちで時間と場所にアプローチする。その新たな関係を紡ぎ出せたときこそ、自然に近づき、アートは都市においてオルタナティブなスペースを生み出す力を発揮するのではないだろうか。
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   <title>前期 建築講座2レポート「類似から見えるヒント」</title>
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   <published>2007-10-29T11:18:42Z</published>
   <updated>2008-11-21T05:27:58Z</updated>
   
   <summary>テーマ：「映画そして／あるいは建築」 日時：2007年5月11日（金）18:00...</summary>
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      テーマ：「映画そして／あるいは建築」
日時：2007年5月11日（金）18:00〜20:30
講師：梅本洋一（横浜国立大学教育人間科学部マルチメディア文化課程教授）
司会：北山恒（横浜国立大学大学院Y-GSA教授）
会場：東京芸術大学大学院映像研究科 馬車道校舎
主催：Y-GSA＋横浜市
      今回の論点は大きく分けてふたつあった。ひとつは「空間を捉える」ことが映画監督に求められる資質のひとつであるということである。

ゴダールの作品〈軽蔑〉のハイライトが上映され、例えば彼が舞台となる場所をどのように意識して映画を撮ったかが示された。カメラは藪の中を歩く脚本家と友人を追う。ふたりが藪から出ると白く乾いた断崖が、続いて深々と青い空と海が現れる。その境目、画面の中央に見える岬にはマラパルテ邸が掩蔽壕を思わせるように建っている。屋上に微かに見える人影はきっとブリジット・バルドーだろう・・・。

多くの人は空間を捉える手段を専ら視覚に頼る。現代人の多くは、空間を介して人が存在すると信じている。映画が視覚に訴える表現であるからには、そこには常に空間の概念が介在する。よって映画制作に携わる者は、撮影せんとしている空間を綿密に網羅している必要がある。前述のシーンは、マラパルテ邸のある場所の地理的、美的な根拠に十分に共感し、それが〈軽蔑〉の物語にどのように共鳴するかを把握していなければ成功しないだろう。それを一度のパンで処理したゴダールのエレガントな構成に、確かな驚きを覚えた。

ふたつめは映画の「モデルニテ＝現代性」とは何か、ということであった。私は初め、モデルニテという概念は、映画の進化の過程で、ある時を境に叫ばれるようになった概念であるのかと誤解して聴いていた。まるでそれがフランス革命を機に興った共和制と同じようなポジションであるかのように認識し、結果混乱した質問を発して会場の失笑を買ったが、誤解は解けた。モデルニテは個々の作品を評価する際、ものさしとして使う概念である。
　映画は時折、制作された時代の世界が滲み出ることがある。それはふいに映り込むこともあるし、物語によって直接語られることもある。その時それは、その映画のモデルニテとして評価される。梅本氏はある有名な映画評論家の話を例に説いた。

彼は、ある映画をこれまでに何度も何度も観ていた。彼の父親がその映画にエキストラとして出演しているのだという。「もしかしたら父を見つけられるかもしれない。もしかしたら父は画面の向こうから私を観てくれているのかもしれない」——その映画とは〈夜と霧〉である。虐殺された膨大な数のユダヤ人たちを描いた映画に、彼の父親はまさに「出演」していたはずだ。映画のスクリーンは鏡のように私たちの姿を映し、そして残す。「映画を観るとき、映画もまたこちらを見ている」。多くの人の記憶に長い間残る映画には、必ずモデルニテがあるという。

もちろん、〈スターウォーズ〉の描く「遠い昔、銀河系の遙か彼方」の世界の物語に価値がないのではない。〈スターウォーズ〉は、公開当初は子ども向けのスペース・オペラと笑われたが、いまでは普遍的な親子愛を描いたものとして評価されている（もっとも、私は〈スターウォーズ〉にもモデルニテはあると思う。宇宙空間での軍事拡張が盛んだった20世紀後半において、宇宙船というガジェットが埃と手垢にまみれ、生活に溶け込んで描写されたという点で）。

建築は空間を操作する表現である。「空間を捉えること」は言うまでもなく、「モデルニテ」があること、つまり社会に対して何らかのフィードバックをもつことは建築を学ぶ身として度々求められる。社会との繋がりの強い建築には常につきまとう要件である。私は時折、その答えが見えなくなる。しかし今回、映画が建築と似た観点で評価されるという話に、私は共感することができた。建築を離れ、映画という双子を通して自分のフィールドを眺めたとき、私は建築に対して感じていたジレンマを少しだけ解消できたような気がした。
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