2009年8月

August 5, 2009 2:55 PM | Category: 授業課題

山本理顕です

山本理顕です。
課題のことなど、気がついたことを書きます。あまりこのブログが活躍していないようなので、もう少し、日常のコミュニケーションの場所になるといいのではないかと思う。かなり適当に気軽に書きます。

続きを読む "山本理顕です" »

| Posted: Riken Yamamoto

August 6, 2009 10:59 AM | Category: 山本

山本です、建築国際教育会議

7月17日、18日、東大で建築教育会議というシンポジウムに参加した。Y-GSAの学生、学部の学生もボランティアで参加してもらったと思います。ご苦労様でした。

私のセッションはプリンストンのスタン・アレン(建築家)、コロンビアのマーク・ウイグリー(歴史家)それと精華大学(北京)のWeiguo Xu(ウェイグォ・シュー)それとUCLAの阿部仁史、それとY-GSAから山本、司会が東大の難波和彦、「グローバリゼーションの中の建築実務と教育」というテーマだったけれども、話し合われたのはもっぱらコンピューター・ワークの建築における位置づけのような話だった。

続きを読む "山本です、建築国際教育会議" »

| Posted: Riken Yamamoto

August 7, 2009 9:42 AM | Category: 山本

山本です。Y-GSAで考えてほしいこと

Y-GSAはスタジオ制を採用している。スタジオ制の欠陥は6ヶ月毎にスタジオの指導教官が替わってしまうために、学生の側から見ると、Y-GSA全体の思想が見えにくくなってしまうことだと思う。そこはわれわれ指導する側もかなり危惧をしているところです。

4つのスタジオの課題の与え方が既にわれわれの思想を表現しているとは思うけど、それを受け取る側がその課題の主旨をもっと自覚的に受け止めてほしいなあと思う。

続きを読む "山本です。Y-GSAで考えてほしいこと" »

| Posted: Riken Yamamoto

August 8, 2009 4:51 PM | Category: 山本

山本です。与条件という条件

今、書いたブログの記事がどこかへ行ってしまったので、もう一度書き直さなくてはならない。なんだか扱いにくいソフトだ。
「そんなこと当たり前のことだ」と思っているその自分自身の感性を疑え、そこに大きな矛盾が実は潜んでいるはずなのだ、ということを昨日書いた。それで思い出したことが、4,5年前、鈴木成文さんと上野千鶴子さんとの対談である。『「51−C」家族を容れるハコの戦後と現在』という本に掲載されている。その対談で、鈴木さんはもはや新しいライフスタイルに対応する住宅のモデルなど、意味がない。むしろその外側こそを考えなくてはならない。対して、上野さんは新たなモデルをつくることは建築家の責任ではないかと問いかけた。二人の話が全くかみ合わなかったのは、単純に鈴木さんは与条件の内側つまり「1住宅=1家族」を前提にして考えている。上野さんはその与条件そのものを問題にしている、その差だったのである。「1住宅=1家族」の内側で考えるなら、新しいモデルなどもはや必要ない。
建築の設計教育というのは徹底して、与条件の内側で考える訓練なのである。少なくとも今まではそうだった。住宅の設計というと家族構成を与えられ、敷地を与えられ、その中で設計せよと言われる。図書館の設計でも、美術館の設計でも、常に与条件を与えられてその中で設計する、それが設計教育だった。それに対して、社会学者は与条件そのものを疑う、それが仕事である。
でも、本当は建築家の最も重要な役割は与条件を疑うということなのである。優れた建築はその時代、多くの人たちが当たり前だと思っていたようなことを徹底して問題にして、時にはその当たり前だと思っていることを徹底的に破壊する。それだけの破壊力を秘めているはずなのである。
与条件を疑うのは社会学者の専売ではない。私たちこそ、常に考えなくてはならないことなのだと思う。
当たり前だと思っていることを疑えというのは、そういう意味である。

| Posted: Riken Yamamoto

August 10, 2009 7:24 PM | Category:

助手の末光です。

山本スタジオ総括~助手の視点から~

2009年前期、山本スタジオを担当した設計助手の末光です。山本さんがアクティブに書き込んでくださるので、負けずに初投稿してみます。

続きを読む "助手の末光です。" »

| Posted: Hirokazu Suemitsu

August 10, 2009 11:00 PM | Category: 山本

山本です。共同体

末光さんが前期課題をかなり手際良くまとめてくれた。私もほとんど同じ意見です。ただ、それぞれの人たちの作品が具体的にどのような作品だったのか分からない、山本スタジオ以外の人が見てもちょっと分かりにくいかも知れない。必要に応じて作品の模型写真なりがあるといいんだけどね。
その末光さんの意見の中で、「個人というある種の自由を前提とした居心地の良さに慣れ親しんだ現代人・・・」と書いているのは非常に重要だと思う。というのは、この議論は60年代の後半から共同体の話をするときに必ず話題になる前提だからである。でも、最近、「地域社会圏」ということを考え出して思ったのだけれども、その「個人という自由」を前提とした居心地の良さを享受しているというのは、ある種の特権性なのではないかということである。個人の自由を前提とすることができない人たちは実は私たちが思っているよりも、猛烈に大勢いるんじゃないかと思う。個人としてではなくて、一つの枠組みに組み込まれて、そのようにカテゴライズされることによって、自分が何者であるかを外側から決めつけられてしまう人たちである。例えば障害を持った人たち、あるいは女性、高齢者、在日外国人、そういう、個人であるよりも前に外側からカテゴライズされちゃうというのはどこか今の社会のシステムに欠陥があるからだと思う。「個人という自由」を前提ににすることによって、実はそこから排除される人たちをつくりだしちゃっているように思う。
そこは末光さんの指摘のように、この「地域社会圏」という課題にとって極めて重要だと思うので、もう少し詳しく説明します。この次のブログでね。

| Posted: Riken Yamamoto

August 11, 2009 10:48 AM | Category: 課題

住人の設定

末光です。模型写真など追ってUPします。
一応学生にも連絡してありますので、できるだけ各自でUPして欲しいと思います。

山本さんの指摘されることは、いつもハッとさせられることが多いですが、つまり自分が思い込んでいることを別の視点から再認識させられることが多いですが、「「個人という自由」を前提ににすることによって、実はそこから排除される人たちをつくりだしちゃっている」ということが、新たな共同体の必要性であるというのは、すごく納得がいった感じがします。

続きを読む "住人の設定" »

| Posted: Hirokazu Suemitsu

August 11, 2009 3:24 PM | Category:

地域社会圏とつながり。

M2の圓木(つぶらぎ)です。スタジオが終わって一段落し、ブログのほうが賑わっているので、僕も終えてみての感想など、学生の視点から書いてみようと思います。


今まで建築を設計するときは、現代的な考え方や生活を読み解きそれに合う器をつくる、という考え方がベースにあったように感じますが、この課題を終えてちょっと違う考え方を持つようになりました。

たとえば「周囲の人たちとつながりたいと思う人がいるから、それに合った器をつくる」ということももちろん大事だと思いますが、
「つながっていたくない、つながる必要がない、と言う人たちこそ、優しくつないであげる」ということが大切だと強く感じました。

この考え方は下手するとただのおせっかいにもなりかねないし、需要と供給がつりあってないため今の社会には合わないかもしれません。現代の人はよく地域に対して閉鎖的と言われがちですが、高齢者や障害者含め現代の人たちこそ、意識せずとも周囲とつながるということが必要なのだと思います。

意識せずとも周意とつながることができるというのは、たとえば「落ち込んでいる人が音楽を聞いて、少し元気が出たから外に出てみよう」くらいの繊細で微妙なことなのだと思います。誰かに励まされたり、誘われたから外に出るというのではなく、小さな梃子入れで自発的な気持ちをつくるということです。
繊細であるということは、社会的なシステムやソフト面での支援以上に、生活の背景となれる建築は、こういった問題に向いているのだと思います。

0811.jpg


そういう考えのもと、僕は高密度で少し窮屈な都市空間のなかで、屋上空間や隙間空間を利用することで住人のためのオープンスペースや路地空間をつくり、少しでも豊かな居住都市を目指して設計を進めました。(上画像)
コミュニティをつくったり、住宅の中に何か仕掛けをするのではなく、屋上の広場が気持ちいいとか、屋上の路地を抜けるのが楽しいというように、体験や感覚といった生活の一部を共有することで、住人同士がつながるような設計を意識したつもりです。


この課題を通してこういった考えの変化があった一方で、地域社会圏という概念はいまだに咀嚼しきれていない感じもしています。
今度の打ち上げで座談会をやるそうなので、エスキスのときには聞けないことや言えないような議論をし、山本先生や末光さん、他のメンバーが考えていたことを深くつっこんで話ができればと楽しみにしています。

課題の詳細なビジュアルなどは、今後、作品をまとめていく中で機会があればまた挙げていきたいと思います。
それでは長文、乱文失礼しました。

| Posted: Y-GSA Webmaster

August 11, 2009 7:05 PM | Category: 山本

山本です。「建築率」

末光さんが整理してくれた「地域社会圏」の可能性はとても分かりやすいと思った。

1.「都市や社会に既にある骨格を再利用する」
その中で商店街は今やどこもシャッター街になりつつある。かつては「地域社会圏」の中心だったのに、その周辺の地域社会が崩壊しつつあって、そのためにシャッター街になってしまっているのだと思う。だとしたらその商店街を中心にしながらもう一度周辺の地域社会をつくりなおすという試みは十分に可能性があるし現実的であるよう
2.「都市と住宅の境界を再定義する」
ということは住宅そのものを再定義することだと思う。この方法はかなり難しい。単に図式的な解説になってしまいがちで、今回の小林の作品が図式のままで終わったのが象徴的だったなあ。
3.「接道という概念を疑う」
「建築率」という考え方は工学院大学で教えているときに思いついた考え方で、ある切り取られた「地域社会圏」の中で、建物のフットプリントとそれ以外の全ての場所との比率のことである。こうして道路も庭も全て空地として図式化してみると「空地率」は思った以上に大きい。つまり木密地域でも「建築率」はかなり小さい。その空地をどう利用するか。共同の駐車場にもなるし、あるいは幅6メートルの道路が緑地になる。「地域社会圏」という考え方を導入することで既存住宅街のその住宅自体には手を加えなくてもランドスケープが画期的に変わる。この後も試してみたい方法だと思っている。
4.「建て替えのプロセスをデザインする」
立て替えのプロセスをデザインするのはこの課題のメインテーマでもあると思う。そのプロセスが現実の都市をどう考えるのか、そのきっかけになる。全ての住宅、建築は私有地の中に建っている。その私有地を融解させるプロセスは考えられるのか。

この4つに分類してくれたけど、とても面白い分類だと思う。まだ類型が考えられると思う。この4つを意識しながら、次の展開に繋げたい。

圓木の言う「おせっかい」は建築家の必需品だと思う。コルビジェもミースもみんな「おせっかい」だった。頼まれてもいないのに新しい社会をつくろうとしたんだから。
「繊細である」というのももう一つの必需品だと思う。「おせっかい」だからこそ「繊細」さが必要なのだと思う。どっちか一つだとうまくいかない。圓木は鋭いところに気がついた。

「地域社会圏」という言葉を選んだのは、その「圏」という言葉が場所性を強く指し表していると思ったからである。「圏」がなくて単に「地域社会」という言葉だったとしたら、その言葉の指し示すものは過去の地域共同体のようなもののイメージか、あるいは行政単位の一部のようなものをイメージさせるか、そのどちらかである。そう思った。「地域社会」という言葉には、「昔は確かにあったけど今は失われてしまっている」という「失われたユートピア」のようなニュアンスがたちこめているのである。あるいは逆に政治的な生々しいイデオロギーが色濃く付着してしまっている。過去の共同体でもなく、あるいは政治的なイデオロギーとしてでもなく、今、最も効率的で効果的な居住システムが考えられないか。そう考えたのである。それが「地域社会圏」という考え方である。
でも、それが難しい。何故そうしたシステムについて考えるのが難しいのかというと私たちが「1住宅=1家族」というシステムに頭のてっぺんから骨の髄まで徹底して浸かってしまっているからである。それを前提として考える限り、「地域社会圏」という新しいシステムを考えることは極めて難しい。

明日からクアラルンプールに行くので、しばらく、といっても4日間ぐらいブログをかけないと思います。盛り上がっていてください。

| Posted: Riken Yamamoto

August 12, 2009 3:01 PM | Category: 課題

「制度のデザインと数字」

こんにちは。
M2の廣岡です。
圓木君に続いて学生側からの感想を述べてみようと思います。

地域社会圏は学部までの課題と違い、「制度をデザインすること」を求められていたなと感じています。

学部ではビルディングタイプによって「美術館」「図書館」「集合住宅」など課題が出されていました。でもこれは今までの制度の中で建築、都市を考えることを強制されていて、自分の学部の頃や後輩の住宅課題をみるとほとんどが無意識に壁面後退を行っています。
「地域社会圏」に取り組むことで無意識に当たり前に思っていたことをまず疑い、今までの枠組みにない建築、都市を考案することは教育的な側面からも非常に新しいなと思っています。

課題が終了して一ヶ月近くたって見えてきたのは「制度のデザイン」における建築率、建蔽率、容積率などの数字の重要性です。
末光さんが整理してくれた「地域社会圏」の可能性の4項目は地域社会圏を考えていく取っ掛かりとして僕も非常にわかりやすいと思いました。
それをふまえて個々のプロジェクトをディベロップし、他人と共有するためには数字に対する何らかの提案を持たないと説得力が無くなるのではないかなと考えます。
圓木君の提案の強度は僕や他の人たちが生活像や形のイメージにとどまっている中でシビアに建築と数字の関係を考案していたからだと思います。

この「地域社会圏と数字」についてみんなと話がしてみたいです。

hirooak.png

| Posted: Shuhei Hirooka

August 12, 2009 4:51 PM | Category:

商店街の骨格


M2の田邊都です。先に学生の投稿がありました。私も圓木くんの後に続けと投稿します。


さて、私自身の課題の話からです。
私は商店街のアーケードという骨格を利用して、新しい其処での生活が再定義されるような、商店街中心型の地域社会圏の提案をしました。

私は商店街という場所がとても好きです。何故なら都市の中でも、とてもエネルギッシュで、人々がごくごく自然に「其処に居れる場所」だと感じるからです。
世界中の市場も商店街も、商業行為の溢れる場はとても活気に溢れ、人々が最も原始的な欲求をもってして、とても自然に交流し集まる場ではないかと感じています。

そういった生きる為の活気に満ち溢れた場所が、もっと人間が住むための都市として考えられないだろうか、という所からこの課題の興味はスタートしました。
山本先生もおっしゃるように、各地で商店街のシャッター通り化というのが深刻化しています。中でも最も古い、戦後からの闇市から発展した木造の商店街は、近年再開発などの陰に消失してしまったものをカウントすると、横浜には4箇所、東京に12箇所存在するようです。

map.jpg


この闇市発展型の商店街は、小さな木造建物の集密で作られており、末光さんのおっしゃるように、人と人の接触を前提として作られた非常にヒューマンスケールな骨格を持っています。壁と壁を接し、2mに満たない小さな路地と互いに掛け合った屋根を共有することによって出来たアーケードは、室内化された独特の公共性を備え賑わっているのです。

私はこの商店街が、現在のユニークな集密感を今後も残して発展していく為に、小さな単位での更新が可能なまま、より多様で周囲に開かれた関係を持てるような都市として展開することを考えました。

model.jpg

蜂の巣のように、小さな部屋の単位の集まりのようにも見え、いくつかの搭型の建物の集合のようにも見え、一つの建物のように見えて、それぞれがグラデーションのように繊細に繋がっている街です。小さな単位を重視しながら、それぞれの意識が少しでも拡大するような大きな単位、というのを意識して提案しました。

忙しく仕事をして此処に寝に帰るだけの住人も、商店街で毎日物を売る店員さんも、ベンチに座って一日を過ごすおじいさんも、外から訪れて買い物しに通りかかるだけの人も、全ての活動がアーケードという活気に満ち溢れた玄関口を抜けて広がっていき、またそれぞれの静かな、小さい単位へと連続して戻っていくような街です。

さて、ブログで交わされている内容に適切なパスが出せるか分らないのですが、
圓木くんの「おせっかい」の話題を読んでいて、昨年の後期に行われた横浜建築都市講座での鷲田清一さんのレクチャーの内容を思い出していました。
鷲田さんは講演の中で、私たちが今後住みたい都市は"見ず知らずの人々がたまたま住んでいるような場所でありながら「見られる権利をもった顔」が生き続けられる場所"である、と言っていたと思います。見る、のではなく、見られる権利。

都市の住人も、外から訪れた商店街の買い物客も、山本先生のおっしゃる「個人の自由を前提とすることができない人たち」も"そっと見守られ、此処に居てもいいのだ"、と思えることが、義務として漂う都市ではなく、権利として繊細な空気のように漂う都市を描くことが大切なのだなと感じました。

建築家の「おせっかい」とのバランスが本当に難しいのですね。


さて私の他に山本スタジオではもう1人商店街を扱った学生が居ました。
是非、彼にとっての地域社会圏のリアリティについても話を聞きたいです。
遠山くん、バトンタッチです。

| Posted: Miyako Tanabe

August 12, 2009 8:38 PM | Category:

ボキャブラリーとしての地域社会圏

M2の杉浦洋平です。圓木や田邊さんに続けと初投稿。地域社会圏という課題に前期取り組んだ学生側の意見を書きたいと思います。

私の提案は、谷戸地形を利用して水の循環システムを作ることで、自然環境と居住環境が共存した住宅地です。

yohei image.jpgのサムネール画像

上の写真は谷戸の全体像のイメージmodelです。住宅地そのものを棚田状の地形にしてしまうことで、谷戸地形の持っていた集水システムを人の生活と自然環境をつなぐことに利用したいと考えました。すべての住宅は前庭を持つ構成になってますが、住宅ごとに前庭との関わり方が高低差の関係で異なります。庭と段差なしでつながる住宅もあれば、目線の高さに庭のある住宅もあります。谷戸を単位とすることで、水を集めること、流すこと、溜めることという一つの住宅だけではできないことが可能になります。


前期スタジオを終えてみても地域社会圏がなんなのか明快に答える自信はないのですが、個人的には「闇市商店街の地域社会圏」「住宅地の屋上の地域社会圏」「谷戸地形住宅地の地域社会圏」というように、地域社会圏の前につける形容詞が非常に重要であると感じています。

というのは、自分の提案でいうと谷戸地形は現在まで住むことに対して価値が見いだされていませんでした。崩れると危ないという理由でコンクリートで固められるか、法規の改正で地階の容積率が緩和されるという理由でマンションが建つかという悲惨な状況です。

この悲惨な状況は、突き詰めてしまえば、谷戸地形に対して一住宅一家族で作られる居住環境は適していないということの証明でした。小規模の住宅開発では斜面崩壊の危険があり、大規模なマンション開発では自然環境を一変させ、周囲の関係がなくなってしまう。

戸だて開発、マンション開発両方が適さないことではなく、この二つしか選択肢がない現状こそ、社会システムのゆがみであり、山本さんが一家族一住宅を否定した理由であると思います。

街づくりのボキャブラリーが乏しいせいで、考える余裕もなく決められた型を当てはめるだけの開発に陥ってしまい、その結果どこにいっても同じ作られ方で住宅地が作られる。


「○○の地域社会圏」という言葉は、社会システムのゆがみの数だけあるのではないのでしょうか。ボキャブラリーを単に増やすだけがいいのではないですが、ボキャブラリーがない今はつくることに意味があると思います。

この当たりを座談会でみんなに意見を求めたいと考えています。長々と失礼しました。

| Posted: Yohei Sugiura

August 14, 2009 8:47 PM | Category:

スタジオ打ち上げ+座談会

明日8/15は17:00-GAZEBOにてスタジオ打ち上げ+座談会です。

参加予定者:山本先生、末光(助手)、圓木(M2)、広岡(M2)、田邊(M2)
      岡田(M2)、杉浦(M2)、小林(M2)
です。

残念ながら、トパリタ(M2)は北欧に行っていて、遠山(M1)、向井(M1)は帰郷の
ため参加できないようです。

山本先生と末光で担当した学部4年生の前期設計課題の
打ち上げも兼ねようと思っていまして、
非常勤講師で来て頂いていた、
藤原徹平さん(隈研吾建築都市設計事務所)、
樫原徹さん(デザインヌーブ)
もお越しくださる予定です。
客観的な視点からも意見をもらってみましょう。

座談会の内容も追ってBLOGでUPしたいですね。

末光

| Posted: Hirokazu Suemitsu

August 16, 2009 3:50 PM | Category: 山本

山本です。数字。

「地域社会圏」という考え方について以前に話をしたけど、その「圏」という言葉にこだわるのは、それが何らかの空間的な解釈を前提にしているからである。地域社会について考えることは単に共同体の政治的な仕組みについて考える事では無くてその空間的な仕組みの提案を含んでいる。「1住宅=1家族」が「住宅」という空間的な仕組みをつくることで国家の運営のシステム(制度)を見事につくり上げたように、それでは「地域社会圏」では「住宅」に代わるどのような空間的な仕組みをつくれば良いのか。「圏」という言葉にはそのような意味が込められている。
だから廣岡の言うように、空間的な仕組みを考えることは、そのままそれは制度をデザインすることである。「地域社会圏」はどのような空間の仕組みを前提として、どのような制度(システム)つくるのか。だからこそ数字が重要なのだと思う。「1住宅=1家族」システムと「地域社会圏」システムとはどこがどう違うのか。その違いを数字で示す事は極めて重要だと私も思う。
杉浦の言うように、地域の固有性と共に「地域社会圏」は考えられるべきだと思う。谷戸のような地形の特異性もあるだろうし、地域社会密着商店街のような特別の個性を持った場所もある。その地域の固有性と共に考えられるべきだと思うし、その固有性を発見する目が問われるのだと思う。「1住宅=1家族」システムのように日本中標準化する事を前提に組み立てられるシステムでは決してないのだと思う。
INAXの本ではデータ(数字)が重要になる。そのデータをどう視覚化するか、それをみんなで考えてください。昨日の打ち上げでの、樫原さん、藤原さんからの指摘はそのヒントになったと思う。

| Posted: Riken Yamamoto

August 16, 2009 4:08 PM | Category:

共有するメリット

末光です。

昨日、皆のリサーチを見ていて思ったのは、このリサーチでは、

「現状」+「メリット」+「事例」

をセットで示さなければならないのではないかと思っています。
そのためには、山本さんのおっしゃるように、「数字」が大事になってくると思う。
つまり集まって住むことで、どのくらいその数字的メリットがあるのか。
皆がなるほどそれなら集まって住むよなと思えるようなメリットを数字とビジュアルを使って示さなければならないと思います。
加えて、それを作り出すためにはどんなシステムがあるのかを事例や案などを交えて簡単に示せればすごく読む人はわかりやすいリサーチブックができると思う。

例えば、医者の数の場合だと、

 現状:医者一人がその地域では何人の住人を見ているのか
 メリット:集まって住むとどのように効率的に救護・介護などができるか?
      その結果医者の数がどのくらい得するのか、医療コストは
 事例:昨日キューバのコミュニティー単位のドクターの例を話していた人が
    居ましたが、そんな先端の事例の紹介等

例えば、緑被率とか緑地率の話だと

 現状:各地域での現状の緑地率とその分布を数字で示す
 メリット:接道義務を外し不要な道路を緑地にするとどのくらい緑地が増やせるか
 事例:例えば杉浦案のように段々状に屋上緑化した自動潅水のシステムとか   

例えば、ガスや電気だと、

 現状:一人が1日どのくらいのガスや電気を使用しているのか?
 メリット:集まって住むことでどれだけ送電ロスが減るのか。
      共同体単位でで自家発電を設置するとどの位コストメリットがあるか。
 事例:圓木案のようにビルが連結していった際に、実際どの位効率が上がるか、
    例えば、受電設備などがどのくらい軽減されるのか、
    それによってどのくらいの面積やコストのメリットにつながるのか

例えば、交通に関してだと、

 現状:車の保有台数のリサーチ
 メリット:カーシェアリングすることで何がどれだけ有効になるのかとか、
 事例:廣岡案のような場合、数箇所に駐車場をまとめることで、
    路地的な空間が再生できるとか
    セグウェイのような地域内交通の可能性とか

その他、商店街タイプの人たちだと、仕入れや倉庫などを共有することでどのくらいメリットがあるのかとか、各自の案で考えた、共同体のメリットを考えて、数字化し、それと現状リサーチをうまく組み合わせられるようにしたら良いと思います。

上記はあくまで僕の思案なので、広岡リーダーを中心に、学生のほうでこんな感じのことを提案してみて欲しいです。

末光

↓座談会@GAZEBOの様子

zadankai.jpg

| Posted: Hirokazu Suemitsu

August 16, 2009 8:39 PM | Category:

地方分権の先にある地域社会圏

こんばんわ。
M2の広岡です。

昨日はお邪魔させていただいてありがとうございました。
GAZEBOも見学できてとても勉強になりました。

昨日の座談会を通して思ったことですが「地方分権」と「地域社会圏」ってかなり密接なことだろうと感じました。
実際に「地方分権」という言葉は話には出なかったんですが山本さんや藤原さんが「横浜の区単位で権利を持っていればもっと建築は街をよくできる」と言っていたのが印象的です。
地方分権というのは最近メディアと通して、大阪の橋本知事や宮崎の東国原知事、横浜の元市長の中田さんたちが盛んに唱えていますがいまいちそのメリットが国民に見えていないように思います。
帰省中に大阪府庁で働く友人に地方分権のメリットを聞いたところ、「地方分権が行われることで住民の生活に近づいたより細やかな対応ができる」とのことでしたが、漠然としていて具体的なメリットはよくわかりませんでした。

それとは逆に地域社会圏は今の生活がどのように豊かなものへと変えていけるかという具体的なメリットを提示していきます。
だけれども提案する面積が1ha前後では細やか過ぎてある地域特定の建築や街づくりになってしまわないかとも考えられます。
だからこそその提案がある地区だけにとどまないように他の地区ではどうなるかという基準となるための数字的なバックグランドが重要なんですね。


「建築家がこれからの社会で重要な役割になる」という山本さんの言葉は地方分権と併せて地域社会圏のようにその地域で集まって住むことのメリットを唱えていく重要性を意味していると思っていて、建築が未来をつくるという実感を肌で感じました。

ただ世間で言われている地方分権は都道府県という大きなサイズで区レベルのサイズまで落ちるのはいつになるんだろうかと疑問にもおもいますが。。。

これから面白い本にできるようがんばりたいと思います。

| Posted: Shuhei Hirooka

August 18, 2009 11:10 AM | Category: 山本

山本です。今後

現状」+「メリット」+「事例」

をセットで示さなければならないのではないかと思っています。
そのためには、山本さんのおっしゃるように、「数字」が大事になってくると思う。
つまり集まって住むことで、どのくらいその数字的メリットがあるのか。
皆がなるほどそれなら集まって住むよなと思えるようなメリットを数字とビジュアルを使って示さなければならないと思います。
加えて、それを作り出すためにはどんなシステムがあるのかを事例や案などを交えて簡単に示せればすごく読む人はわかりやすいリサーチブックができると思う。

という、末光さんの指摘の通りだと思う。

続きを読む "山本です。今後" »

| Posted: Riken Yamamoto

August 19, 2009 12:40 AM | Category:

400人という単位

設計助手の仲です。
山本理顕スタジオのブログを興味深く見てました。
勝手に参加します。
文脈を把握しきっているわけではないので、失礼なところもあるかもしれませんが、お許し下さい。
僕は400人という単位に、可能性を感じます。

続きを読む "400人という単位" »

| Posted: 仲

August 20, 2009 12:10 AM | Category: 山本

山本です。400人

仲さんの指摘のように、400人程度という「地域社会圏」の人数に特に根拠があるわけではない。仮に、400人程度という数字が与えられたら、どのような「地域社会圏」が可能か、という逆向きの思考方法である。400人を一単位としたらどのような空間が考えられか、という思考方法は私たち建築家にとって実は馴染みの方法なのである。仮に4人家族程度を一単位としてその住み方を考えるとしたら、という仮説を与えられて、その空間単位を住宅と命名して、「1住宅=1家族」の空間を考え出したのは私たち建築家である。それを考え出したとたんに、それが前提になって今の社会のシステム(国家運営のシステム)がいつの間にか決まってしまった。「建築は仮説に基づいてできている」(拙著、住居論を参照してください)のである。もともと根拠なんてないのである。でも、それができあがってしまったとたんに、その仮説がいかにも根拠のあるように見えてしまう。それが建築という有無を言わせない社会的暴力なのだ、というのが私の意見なんだけれども、多くの人たちはその建築の無根拠性に気がつかない。だからその暴力性にも気がつかない。
というわけで、400人に根拠がなくても、まずそれで空間化してみる。勿論、試行してみて修正はされるだろうけど、それでもその根拠が証明されるわけではない。それでも空間化する。「1住宅=1家族」でやってみたことを「地域社会圏」という形でやってみる、「1住宅=1家族」と「地域社会圏」、それを相互に比較することが重要なのだ。「地域社会圏」モデルは「1住宅=1家族」システムの検証でもあるのだと思う。

| Posted: Riken Yamamoto

August 20, 2009 10:15 PM | Category:

商店街型地域社会圏

末光です。

仲さんが指摘した単位の問題は非常に興味深いと思います。
今回スタジオをやっていた中で、一番現実的な可能性を感じたのが商店街型の地域社会圏でした。というのは、色々な理由が考えられるのですが、ひとつに、都市に存在する既存の骨格でありながらも、規模的に丁度400人くらいの規模に近いというのがあるのかもしれません。

つまり、自然発生的に作られてきた地域のコミュニティーの単位というものが、地域社会圏で想定している規模と近いということが何だか興味深い関係だと思います。

続きを読む "商店街型地域社会圏" »

| Posted: Hirokazu Suemitsu

August 27, 2009 12:09 AM | Category: 山本

山本です。世界は物によって構成されている

仲さんの指摘した、400人という単位の可能性についてですが、実はこの単位に建築の秘密があるように、最近思っています。
仲さんのいうとおり400人は少し大きめのマンションの単位であるとしても、その400人に決まったのは別に、この人数が最適であるということで決まったわけではなくて、敷地の条件とか経済的な条件などによって、たまたま400人程度になったのだと思います。でも、その400人程度で住み始めると、それがいかにも適正であるかのように見えてきてしまう。環境の側が400人を前提につくられてしまうと、それに私たちが適応してしまうのだと思う。
保田窪団地が120世帯、一人暮らしの人もいるので、大体、350人から400人ぐらいの間である。これも、たまたま今まで住んでいた人と、新しい入居者を加えるとそういう数字になっただけで、意図された数字ではない。
私見だけれども、適正な数字というのはないのだと思う。大胆な意見を言えば、それが適正かどうかを決めるのが建築なのだと思う。
ハンナ・アーレントという人は、世界は建築のような「物」によってできているという。(「人間の条件」)「物」をつくるのは「工作人」である。「工作人」のアイデアによって「物」ができているとしたら、「物」によって構成されている世界というのは根拠があってできているわけではない。「物」と「物」の相互関係は常に必然であるわけではない。多くの場合「物」と「物」とは偶然隣り合っている。そうした偶然の中にわれわれは住んでいるわけである。なんでそんな無根拠の世界に私たちが住むことができるかというと、そうした「物」たちが人間よりも遙かに長生きだからである。私たちが生まれて死ぬまでの時間、それ以上に長い時間「物」はそこにあり続ける。だから私たち一人一人にとっては「物」は生まれる前に既にそこにある。つまり私たち一人一人にとっては既に生活の与条件である。ということは「物」は個人にとっては常に肯定的にそこにあるわけである。
つまり、「物」によって構成される世界は偶然にできあがっていたとしても一人一人にとっては、それは必然なのである。
さらに飛躍すれば、「物」によって構成された世界がもしなかったら、私たちはどこで生まれてどこで死んだのか、それを記録することができない。言い換えれば共同体的に記憶することができない。「物」によって構成された世界は私たち共同体の記憶の空間なのである。
恐ろしいことに偶然的にできあがった「物」による世界が、私たちの記憶の空間なのである。
というようなわけで、400人のための空間をもし私たちがつくることできたら、それがそのままそこに住む人たちの記憶の空間なのである。
もし400人が一緒に住むとしたらどのような空間構成が可能か、という問いかけは、その空間がそのまま肯定されることが暗黙のうちに前提されているのである。
ハンナ・アーレントのいう、世界は「物」によって構成されているという意味は多分そういう意味なのだと思う。
清水建設との共同研究でも「地域社会圏」を取り上げたいと思う。実際に空間構成までつくりたいと思っているので、インディペンデント・スタジオに参加したい人は申し出てください。

| Posted: Riken Yamamoto

August 30, 2009 4:44 PM | Category:

座談会のまとめ

この間の座談会の際にご意見いただいたことを一度アップしておきます。


□建築率
建築率の定義=道路や庭などを含めたあらゆる空き地に対してのフットプリント
地域社会圏という大きな単位で建て替えれば接道条件をクリアできる。
調べた地域ごとに建築率と道路率、建蔽率を組み込むことでより全体がわかりやすくなる。
旗竿地を入れていくとどんどん道路率は下がっていく。

太田の住宅地コンペが面白い事例
北山案では長屋型の道路率が最も低いが長屋だけだとコミュニストみたいな街になってしまう。
それに対して小嶋案では目方売りのシステムを提示。

□パブリックファシリティリサーチ
1ファシリティあたりに何人利用しているかを示した方が良い。
現状把握と適正規模が見えてくると良い。
ただこれは地域によって全く違う。
コンビニの話が出ていたがコンビニをたくさんグリット状に置いていくか辺境に行けば行くほどコンビニの周りに人を集めるかのどちらかではないか。

□医療
これも一人がどれだけ受け持っているのかを見せた方がわかりやすい。
ダイアグラムをわかりやすくする必要もある。
医療従事者の種類は他にもたくさんあるんじゃないのか。

キューバのファミリードクターが参照できるのではないか。

□自然環境
現状の緑被率のリサーチだと意味がない。
緑地率や緑被率は一つの文化圏の中ではそんなに違いは無い。
分布率や天空率のように目に見える緑の比率を出すのも有効ではないか。
緑を増やすためには道路をどう変えていくかという問題がある。
クリチバは休日の三日間でアスファルトを剥がし、緑を植えた。その効果により道路に接した商業施設に人がたくさん集まるようになった。(グリーンテロリズム)

□交通
現状のリサーチでは車の保有台数以外は地域社会圏につながりにくい。
リサーチが先にあるからわかりにくいが各地域に何が主要な交通手段かを見る
例えば子安を敷地に選んでいれば電車が今では主流だけれどこんな交通手段もあるかもしれないという提案になる。

□セキュリティ
ネガティブプレゼンテーションにしかならない。
できれば見せたくないもの。
若者と高齢者の起きている時間の差異によって眠らない街が産まれている事例もある。

□温室効果ガス
出典はまず明らかにすること。
別に無くても良いのではとも言われていた。

□防災
消防車が入るための4m以上の道路が無くても良くて、200mごとに水が入った防水タンクがあれば良い。1住宅=1家族の単位が接道義務を生んでいる。

再び聞き直していて思ったのは道路についての話が何度も出てきていたこと。
自然環境の話も道路の話に結びついたし、防災や交通、建築率の話のときにも度々出てきていました。

末光さんが書いた「共有するメリット」のなかでは出で来なかったものもあるので見直すと良い復習になると思います。

| Posted: Shuhei Hirooka

ページのトップへ