
August 11, 2009 7:05 PM | Category: 山本
末光さんが整理してくれた「地域社会圏」の可能性はとても分かりやすいと思った。
1.「都市や社会に既にある骨格を再利用する」
その中で商店街は今やどこもシャッター街になりつつある。かつては「地域社会圏」の中心だったのに、その周辺の地域社会が崩壊しつつあって、そのためにシャッター街になってしまっているのだと思う。だとしたらその商店街を中心にしながらもう一度周辺の地域社会をつくりなおすという試みは十分に可能性があるし現実的であるよう
2.「都市と住宅の境界を再定義する」
ということは住宅そのものを再定義することだと思う。この方法はかなり難しい。単に図式的な解説になってしまいがちで、今回の小林の作品が図式のままで終わったのが象徴的だったなあ。
3.「接道という概念を疑う」
「建築率」という考え方は工学院大学で教えているときに思いついた考え方で、ある切り取られた「地域社会圏」の中で、建物のフットプリントとそれ以外の全ての場所との比率のことである。こうして道路も庭も全て空地として図式化してみると「空地率」は思った以上に大きい。つまり木密地域でも「建築率」はかなり小さい。その空地をどう利用するか。共同の駐車場にもなるし、あるいは幅6メートルの道路が緑地になる。「地域社会圏」という考え方を導入することで既存住宅街のその住宅自体には手を加えなくてもランドスケープが画期的に変わる。この後も試してみたい方法だと思っている。
4.「建て替えのプロセスをデザインする」
立て替えのプロセスをデザインするのはこの課題のメインテーマでもあると思う。そのプロセスが現実の都市をどう考えるのか、そのきっかけになる。全ての住宅、建築は私有地の中に建っている。その私有地を融解させるプロセスは考えられるのか。
この4つに分類してくれたけど、とても面白い分類だと思う。まだ類型が考えられると思う。この4つを意識しながら、次の展開に繋げたい。
圓木の言う「おせっかい」は建築家の必需品だと思う。コルビジェもミースもみんな「おせっかい」だった。頼まれてもいないのに新しい社会をつくろうとしたんだから。
「繊細である」というのももう一つの必需品だと思う。「おせっかい」だからこそ「繊細」さが必要なのだと思う。どっちか一つだとうまくいかない。圓木は鋭いところに気がついた。
「地域社会圏」という言葉を選んだのは、その「圏」という言葉が場所性を強く指し表していると思ったからである。「圏」がなくて単に「地域社会」という言葉だったとしたら、その言葉の指し示すものは過去の地域共同体のようなもののイメージか、あるいは行政単位の一部のようなものをイメージさせるか、そのどちらかである。そう思った。「地域社会」という言葉には、「昔は確かにあったけど今は失われてしまっている」という「失われたユートピア」のようなニュアンスがたちこめているのである。あるいは逆に政治的な生々しいイデオロギーが色濃く付着してしまっている。過去の共同体でもなく、あるいは政治的なイデオロギーとしてでもなく、今、最も効率的で効果的な居住システムが考えられないか。そう考えたのである。それが「地域社会圏」という考え方である。
でも、それが難しい。何故そうしたシステムについて考えるのが難しいのかというと私たちが「1住宅=1家族」というシステムに頭のてっぺんから骨の髄まで徹底して浸かってしまっているからである。それを前提として考える限り、「地域社会圏」という新しいシステムを考えることは極めて難しい。
明日からクアラルンプールに行くので、しばらく、といっても4日間ぐらいブログをかけないと思います。盛り上がっていてください。
Permalink | Posted: Riken Yamamoto