
August 12, 2009 4:51 PM | Category:
M2の田邊都です。先に学生の投稿がありました。私も圓木くんの後に続けと投稿します。
さて、私自身の課題の話からです。
私は商店街のアーケードという骨格を利用して、新しい其処での生活が再定義されるような、商店街中心型の地域社会圏の提案をしました。
私は商店街という場所がとても好きです。何故なら都市の中でも、とてもエネルギッシュで、人々がごくごく自然に「其処に居れる場所」だと感じるからです。
世界中の市場も商店街も、商業行為の溢れる場はとても活気に溢れ、人々が最も原始的な欲求をもってして、とても自然に交流し集まる場ではないかと感じています。
そういった生きる為の活気に満ち溢れた場所が、もっと人間が住むための都市として考えられないだろうか、という所からこの課題の興味はスタートしました。
山本先生もおっしゃるように、各地で商店街のシャッター通り化というのが深刻化しています。中でも最も古い、戦後からの闇市から発展した木造の商店街は、近年再開発などの陰に消失してしまったものをカウントすると、横浜には4箇所、東京に12箇所存在するようです。

この闇市発展型の商店街は、小さな木造建物の集密で作られており、末光さんのおっしゃるように、人と人の接触を前提として作られた非常にヒューマンスケールな骨格を持っています。壁と壁を接し、2mに満たない小さな路地と互いに掛け合った屋根を共有することによって出来たアーケードは、室内化された独特の公共性を備え賑わっているのです。
私はこの商店街が、現在のユニークな集密感を今後も残して発展していく為に、小さな単位での更新が可能なまま、より多様で周囲に開かれた関係を持てるような都市として展開することを考えました。

蜂の巣のように、小さな部屋の単位の集まりのようにも見え、いくつかの搭型の建物の集合のようにも見え、一つの建物のように見えて、それぞれがグラデーションのように繊細に繋がっている街です。小さな単位を重視しながら、それぞれの意識が少しでも拡大するような大きな単位、というのを意識して提案しました。
忙しく仕事をして此処に寝に帰るだけの住人も、商店街で毎日物を売る店員さんも、ベンチに座って一日を過ごすおじいさんも、外から訪れて買い物しに通りかかるだけの人も、全ての活動がアーケードという活気に満ち溢れた玄関口を抜けて広がっていき、またそれぞれの静かな、小さい単位へと連続して戻っていくような街です。
さて、ブログで交わされている内容に適切なパスが出せるか分らないのですが、
圓木くんの「おせっかい」の話題を読んでいて、昨年の後期に行われた横浜建築都市講座での鷲田清一さんのレクチャーの内容を思い出していました。
鷲田さんは講演の中で、私たちが今後住みたい都市は"見ず知らずの人々がたまたま住んでいるような場所でありながら「見られる権利をもった顔」が生き続けられる場所"である、と言っていたと思います。見る、のではなく、見られる権利。
都市の住人も、外から訪れた商店街の買い物客も、山本先生のおっしゃる「個人の自由を前提とすることができない人たち」も"そっと見守られ、此処に居てもいいのだ"、と思えることが、義務として漂う都市ではなく、権利として繊細な空気のように漂う都市を描くことが大切なのだなと感じました。
建築家の「おせっかい」とのバランスが本当に難しいのですね。
さて私の他に山本スタジオではもう1人商店街を扱った学生が居ました。
是非、彼にとっての地域社会圏のリアリティについても話を聞きたいです。
遠山くん、バトンタッチです。
Permalink | Posted: Miyako Tanabe