
September 22, 2009 4:23 PM | Category: 山本
広岡の報告、キューバの医療事情はとても面白い事例だと思います。日本では地域社会と医療との関係がほとんど考えられないままに医療制度が決められてしまっているのだと思う。キューバでは全く正反対の考え方が採用されている。こうした事例も是非、載せたい。載せたいというのは、今度のINAXの本。
藤森照信さんの監修の本と、伊東豊雄さん監修の本は既に出版された。面白いから読んでください。
次の山本監修の本は年末を目指している。そこでY-GSAの「地域社会圏データ」に16ページ割り当てられているので、大至急まとめたい。どうまとめるか至急相談したい。9月30日、スタジオのオリエンテーションがある日、その後に集まってほしい。前期山本スタジオを選択した学生は参加してください。去年卒業した田中秀一も参加したいといっているので、田中にも連絡してください。
この「地域社会圏データ」は引き続き、清水建設との共同研究、インディペンデント・スタジオとしても発展させたいと思っているので、これに参加することも視野に入れてください。別に前期、山本スタジオをとった人だけではなくて、Y-GSAの学生で興味のある人は30日に集まってください。
「地域社会圏」という考え方、つまりその固有の場所と一緒に地域のシステムを考えるという考え方は、今まであまり注目されてこなかった。
地域社会をつくっているのは制度だとおもわれてきたからだと思う。そして実際、制度自体が地域社会を解体させるように働いてきた。家族と国家とが媒介なしにいきなり結びついちゃったわけだから、その中間にある地域社会が壊滅的に失われてしまったわけである。そしてさらに、地域社会のようなものは既に近代都市の中からは失われてしまっている、という前提で私たちが都市を見るようになってしまった。むしろ僕はそういう見方の方が問題なんじゃないかと思っているんだけど、ひょっとしたら地域社会のようなものはまだしぶとく生き残っているんじゃないのか。制度の側がいくらそれを解体させようとしても、実際に都市の中に生き続けてきた人たちによって、細々かも知れないし、堂々とかも知れないし、しっかり地域社会は生き続けているようにも思う。
家族は「共同体内共同体」である。もしそうだとしたら、家族の上位の共同体が国家であるという考え方は、あまりにも乱暴だと思う。互いの距離が遠すぎる。でも、近代国家はその遠い距離を前提にしているんだけどね。家族とその上位の共同体との距離があまりにも遠いというのが今の社会の最大の矛盾なんだと思うけど、その矛盾を解消するために、住宅はますます閉鎖的にならざるを得ないというのが実体なのである。
ところで、藤村龍至さんに薦められて、東浩紀さんと北田暁大さんの「東京から考える」という対談を読んだ。面白かったけど、やはり、国家と家族が直接結びついた社会(都市)を前提にしているというところが気になった。だから現実の都市を批評しながら、それがいきなり国家/家族、ナショナリズム/生殖・再生産の話になっても、なんだかそれは都市からすごく遠い。それが正直な感想である。
国家と結びついた家族はでも一方で激しく多様化している。例えば、「同性愛者の家族もあるだろうし、たがいに血が繋がっていない親子が作る家族もある。」(東、246頁)確かに多様化しているんだけど、でもそうした多様な家族がみんな"家族"を装うのは何故なんだろう。どんな特異な家族も彼らが住んでいる住宅は実は極めて標準的なのである。同性愛でも異性愛でもお一人様でも住宅はさして変わらない。みんな周辺に対しては極めて閉鎖的である。画一的である。その閉鎖性、画一性は、ここにはフツーの家族が住んでいますよ、というサインである。平和に住んでますよ、周辺の皆さまに迷惑かけませんよ。そういうサインでもある。周辺との関係という見方をするかぎり、実はどんな家族も極めて画一的なのである。この画一性に、家族と都市との秘密があるように思う。家族と地域社会との関係にひょっとしたら可能性があるように思う。
駆け足で書いたのでちょっと分かりにくいかも知れない。この続きはまた書きます。
とにかく「地域社会圏データ」を早くまとめたい。
最近、日本にいないので、なかなかこのブログがかけない。
Y-GSAのワークショップで24日から台中、向こうでちょっと話をしよう。
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