November 7, 2009 11:40 PM | Category: 山本

山本です。インディペンデント・スタジオ

「地域社会圏データ」は良くまとまっていると思う。
今の現実をデータにして「日本が400人の社会だったら」その社会はどのようなシステムになるのか、というデータ分析は面白い実験だと思う。INAXの高田さんとも話をしてみるけど、最終的にはもう少し整理が必要だと思う。
家族のような小さい単位を「S」そのSの集合単位を「M」さらに大きな単位を「L」と呼んだのは秀逸だと思う。呼び方はすごく単純だけども、実は極めて本質的である。私たちの頭の転換を呼び起こすのである。今まで、最も小さな単位をなんと呼んだらいいのかその適当な呼び方がなかった、ということをそれが示唆するからである。今までは「家族」と呼んでいた。でも、家族と呼んだとたんに、父母子供という複数人による一つのセットを思い浮かべざるを得ない。それが標準的な基本単位である。だから、その標準からはずれてしまう人たちをなんと呼んでいいかわからなくなっちゃったのである。単独世帯、高齢者世帯、片親世帯、世帯というのは標準家族を前提としているから、その標準に乗らない人たちを特別な呼び方で呼んでいたのである。
家族は多様化しているというけど、その多様化した人たちの生活を全て家族と呼んでいたというのはよく考えて見ると、相当おかしい。同性愛者同士の結婚を認めるのか、夫婦別姓を認めるのか、そうした議論は全て今の家族という単位を前提にしている。個人個人はどんなキャラクターであったとしても、みんな家族を装うのである。それを多様化って呼ぶか。
何故装いたいのか、社会を構成する最小単位を「家族」って呼んじゃったからである。

「家族」ではなくてそれを「S」と呼ぶ。
「S」は一人でもいいし、今まで通り「家族」でもいい。あるいは同性愛の二人でもいい。仲のいい三人組でもいい。高齢者が集まっていてもいい。標準化される必要はない。家族を装う必要はない。「S」は「M」を構成する単位である。それでは「M」は何かというと、「S」に対するサービス単位である。あるいは「S」に対するインフラである。今、それを400人ということにしているわけである。「地域社会圏」と呼んでいる単位である。
「L」は国家的なシステムのことである。地方自治体を経由しているとはいえ、国家的な秩序のことである。
今までは「S」と「L」しかなかった。だから「S」は徹底的に標準化されようとしたわけである。あるいは徹底的に自立させられたわけである。そうじゃなかったら、「L」に極めて大きな負担がかかっちゃうからね。そういうこともよく分かる。
そこに「M」を挿入する。そうすると「S」がいきなり「L」のための単位になるわけではなくて、「S」は「M」との関係になる。つまり「S」は常に「M」との関係において記述される。「S」だけを単独に取り上げてそれを表記することはできない。つまり「S」の住む場所がどのような場所かということも「M」との関係において決まる。
「M」からどのようなサービスを受けるのか、「M」に対してどのような対価を払うのかそれが「S」の有り様を決める。みんなにまとめてもらった「地域社会圏データ」はその「S」に対するサービス・システムの可能性をまとめてもらったわけである。
「地域社会圏」というネーミングはちょっとだけど、この「S」「M」「L」は結構いいねえ。

| Posted: Riken Yamamoto

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