
December 13, 2009 11:23 PM | Category: 山本
最近はコミュニティーという言葉がインフレ状態だ、と東北大の社会学者の吉原直樹さん。11月20日のシンポジウムの時の話である。確かに今日(12月13日)の新聞の読書欄にしても地域社会やコミュニティーに関する話題が多くなっているのが分かる。ぼくの学生の頃は全く逆だった。コミュニティーなどというと笑われた。それも鼻の先で笑われた。そんなもの誰が信じるか。実存、主体、自由、疎外という言葉は当時、多くの私たちが暗黙に共有している言葉だったけど、コミュニティーは最も恥ずかしかった。家族などといっていた私はかなり恥ずかしかった。磯崎さんは「都市住宅」という雑誌の誌上コンペで「父を殺せ、母を犯せ」等とアジっていた。今、思うとこれも結構恥ずかしいけど。
コミュニティーというのはイデオロギーではなくて、不可避の関係だと思う。コミュニティーの内側にいないと生きてゆけない。そういう関係として考えた方が現実を説明できるように思う。東浩紀さん、藤村龍司さんとの鼎談でも、つい最近お会いした金子勝さんとの話(中村拓史さんとの鼎談)でも、それが話題になった。東さんとはコミュニティーは、既に崩壊しているようでいて、しっかり生きている。それは今は擬似的なコミュニティーにしか見えないけど、実は大きな働きをしているのではないかという話をした。金子さんとは、コミュニティーはもっと鍛えられる。今の経済原則を超えて強靱な仕組みを考えることができるはずだというのが金子さんの指摘だった。
イデオロギーとしてではなくて、現実にあるものとして、コミュニティーについて話をすることができるようになったというべきなのかも知れない。コミュニティーという言葉のインフレはいいことなのだ。
Permalink | Posted: Riken Yamamoto