
January 13, 2010 10:41 AM | Category: 山本
最近、書いていないけど、INAXの本の原稿がもうすぐ締めきりです。「地域社会圏データ」の最終責任者は玉田だったっけ。どうなりましたか?重要なテーマなので、最終確認したい。ぼくとINAXの高田さん宛にデータを送ってください。
今まで書いてきたこのブログをその本に掲載することになりました。全体を読み直して見ましたが、結構面白い。助手の末光さんや山本スタジオのみんなの文章もかなり面白い。スタジオの活動が生々しく伝えられると思うので、活字にするのもいいかと思っています。みんなの書いた文章を載せるのだとしたら改めて相談します。
ところで、「地域社会圏」の重要さは建築家の責任や権利にも関わっているとぼくは思う。つまり、建築家というのは思想を問われているのだということを改めてわれわれは考えているからである。
'建築に思想はあるのか'という問いは実は奇妙な問いである。厳密に言えば間違った問いかけである。建築は'もの'である。何者かによってつくられた'もの'であるとしたら、その'つくる人の思想'を問うというのが正しい問いである。ところがここで問題がおきる。それでは一体建築をつくる者は誰なのか。クライアントなのか。思想と問うとしたらクライアントの思想が問われるのか。仮にクライアントであるとする。そこでもう一度問題が起きる。クライアントとは何者なのか。その建築の利用者なのか。利用者が必ずしも発注者とは限らない。分譲住宅の利用者は住人だけど、建築の発注者はディベロッパーである。あるいは建設資金を出す人が発注者とは限らない。公共建築の場合は、建築をつくる資金は税金である。あるいは住民たちの積立金である。発注者は地方公共団体の首長である。そして利用者は住民である。そしてその建築の管理者は時には地方自治体である。この場合、クライアントは誰か。クライアントの思想が問われるとしたら、その思想は誰の思想か。
そして、建築をつくる場合、もう一人有力なエージェントがいる。'建築をつくる人'というのだとしたら、文字通りつくる人の中心にいるのは設計者である。ここでさらにまた問題が複雑になる。建築の設計者とは何者か。その建築は誰のために設計するのか。ディベロッパーなのかその建物の住人なのか。地方自治体の首長なのかその施設の利用者なのかあるいは管理者なのか。誰の方を向くにしても、その誰かの思想の命ずるままに、その命令に忠実に従うのが設計者なのか。設計者には'つくる人'に固有の思想はあるのか。
実をいうと、いまや大混迷なのである。もともと設計者という存在自体が日本の社会と馴染みがあまり良くないということもあったけども、あの姉歯事件以来ますます混迷が深まってしまったのである。
設計者に固有の思想があって、その思想に共感するからこそ、その設計者に仕事を依頼するという依頼の仕方が一方にある。その対極には、どのような建築にするかは発注者の側で既に決めてしまっていて、その考え方に則って設計する。それを忠実に果たすことを期待される。そういう依頼の仕方が一方にある。ここでは設計者の思想は全く期待されていない。
多くの場合、設計者に対する期待は後者である。単純にいえばハコもの技術者としての設計者である。
今や混迷の建築業界なのである。
「地域社会圏」はそういう意味でも、設計者はなしをするのか、何をすることができるのか、という問いかけの重要な答えなのである。
地域社会のための建築家ということ、その意味をきちんと伝えたい。
Permalink | Posted: Riken Yamamoto