
March 26, 2010 10:26 AM | Category: 山本
前回、ソシュールの話をした。互さんの著書「ソシュール」の記述にあった「内部の外部」という差別の構造についてである。差別というのは常に「内部の外部」を発見するという意識なのである。"私たち"という共同体の内側にほんのわずかな差異を捏造してその微差をもって他者を発見する。その他者は"私たち"の内側にいなくてはならない。その他者の存在があってはじめて"私たち"という内側が補強されるのである。差別というのはどうやらそういう構造をもっているらしいのである。
「地域社会圏」ということを考えるのだとしたら、そうした差別の構造と関わらざるを得ないように思う。それを回避するためには「地域社会圏」そのものが流動的である必要がある。常に境界が変化する。例えばエネルギーの供給システムを考えるときには4つの「地域社会圏」を一体に考えるとか、あるいは交通システムだったら、もっと大きな単位を考える。コンビニは3つぐらいの単位になるとか、そのインフラと共に「地域社会圏」そのものが変化するということが考えられるのではないかと思う。あるいは来街者が常にその「地域社会圏」の中に他者としているということも重要だと思う。つまり「地域社会圏」に外からの人を迎え入れるための場所があるということである。
昨日は学部、それとY-GSAの卒業式。その席でも言ったことだけど、課題を考えるときに素材や工法や構造システムを初期のアイデアのときから一緒に考える。「地域社会圏」の理念を考えることは同時のその実現のプロセスを考えることでもある。そこを忘れないようにしてほしい。
Permalink | Posted: Riken Yamamoto