
April 9, 2010 2:55 PM | Category: 山本
ハンナ・アレント、「人間の条件」の解説
「労働」は生命維持のために不可欠な活動である。古代ギリシャでは奴隷の活動だった。
というところまで書いて前回終わったしまった。その続きである。
「活動的生活」は「労働」(labor)と「仕事」(work)と「活動(action)」の三つの側面(条件)から考察できる。ということだった。「労働」は必要に応じてなさなければならない活動(activity)である。自らの積極的な意志においてではなくて「必要」だからしょうがないか、というような活動である。それは奴隷の仕事だった。古代ギリシャ人にとってはもっとも軽蔑される活動だったのである。それでもこの「労働」がなくては人間は生きてはいけない。生きるためには必然的なそしてもっとも重要な活動である。人間の自由意志ではなくてこうした外側から要請される活動つまり「労働」は、だからこそ軽蔑される活動だったのである。何しろ徹底した自由意志に基づく「観照」こそがもっとも価値の高い活動だったとしたら、ちょうどその反対の活動が「労働」だったのである。ただ「生命を維持するための必要物に奉仕するすべての職業が奴隷的性格をもつ」のである。(P136)それが「労働」(work)である。そして「労働」による成果はその活動のはしから失われていく。決して残らない。何も残さない。家事労働に代表される活動、あるいは肉体労働など労苦と骨折りだけが支配する活動である。
「仕事」(work)は世界をつくる活動である。単純にいうとものをつくる活動である。「もっとも卑しい職人から最大の芸術家まで」(p146)仕事人(デミウルゴイ)は極めて多様である。けれども彼らのつくるものはそこに生活する人々よりも遙かに長寿命である。(「人間の条件」には「仕事人」という言葉と「工作人」という言葉が出てくるけど、そこにどのような違いがあるのかよくわからない。後でもう一度調べておく。)その「永続性と耐久性がなければ世界はあり得ないが、それを世界に保証するのは、世界の部分として眺められた仕事の産物であって、労働の産物ではない。」(p148)アレントは「労働」(work)と「仕事」(work)とをはっきりと分ける。アレントがというよりも古代ギリシャでは厳密に区別されていたのである。仕事人あるいは工作人は物をつくる。世界はその物によって構成されている。私たちの活動は「物の環境の中に現れ、その中で消滅するのである」(p148)「もし私たちの眼の前に『わが手の仕事』がないとしたら私たちは物がなんであるかすら知らない」(p148)つまり「世界性という点からみると、活動と言論と思考は、それ自体では何も「生産」せず、生まず・・空虚である」(p149)それらが世界の物となるためには工作人による「物化」がなければならない。そうでなくては記憶されない。「物化」されないということは記憶されないということである。「『物化』が行われないとしたらどうだろう。そのとき活動と言論と思考の生きた活動力は、それぞれの課程が終わると同時にリアリティーを失い、まるで存在しなかったように消滅するだろう」(p150)とアレントはいう。古代ギリシャの人たちはそう考えていたというのである。これは実感としてわかる。建築も物である。「物化」を「建築化」と読み替えるとしたら、もし建築がなかったら、私たちの活動はそのまま記憶されないまま失われてしまう。私たち一人一人が生まれた場所や死んでゆく場所は共同体的に記憶される。建築は共同体の記憶装置なのである。ということを古代のギリシャ人はよく知っていたのである。「工作人」に対して敬意が払われたのはこうした理由からであった。
ところが、マルクスの登場でこうした「労働」(work)「仕事」(work)の区別、あるいは工作人に対する尊敬は一気に失われてしまったというのである。
Permalink | Posted: Riken Yamamoto