April 10, 2010 1:54 PM | Category: 山本

山本です。マルクスによる「労働」の優位

「労働」(work)と「仕事」(work)の区別の代わりにマルクスによって考えられたのは生産的労働と非生産的労働の区別である。「近代において労働が上位に立った理由は、まさに労働の『生産性』にあったからである」(p140)産業革命によって19世紀に生きるすべての人たちが「かつてみたこともないほど高い西洋人の現実的な生産性にいわば圧倒された」(p141)そういう時代だったのである。「神ではなく労働こそが人間をつくったとか、理性ではなく労働こそ人間を他の動物から区別すというようなマルクスの冒涜的な観念は、近代全体が同意していたある事象の最も過激で一貫した定式に過ぎなかった」(p140)のである。マルクスに限らず労働あるいは生産性こそがこの時代の最重要課題であることは共通認識だったと思うのである。
マルクスが「資本論」の第一巻を出版したのが1867年である。産業資本家たちがイギリスやフランスで労働者住宅をつくりはじめるのがちょうどこの頃で、たとえば「プラーグ街の住民たち」(中野隆生)に紹介されているミュルーズの労働者住宅は1853年に着工されている。工場の生産性を上げるためにはばらつきのない標準的な労働力が必須だったのである。住宅は労働力の標準化のためには最も重要な教育装置として考えられていた。という話を以前にしたけど、マルクスの「労働力」はまさにその時代の産物なのだということが良くわかる。
「労働市場に持ち込まれて売られるのは、個人の技量ではなくて『労働力』となる。この『労働力』は、生きている人間ならだれでも、だいたい同じくらいの量をもっているだろう」(p143)誰でも同じ能力として解釈されるのが労働力である。かつては熟練の職人によって生産されていたとしても、分業化によって「一つの活動力が非常に多くの細かい部分に分化しているので、それぞれに専門化した作業者は最小の技能しか必要としない、この結果マルクスが正しく予言したように、熟練労働が完全に廃止される傾向が現れる」(p143)熟練工もいない工作人もいない。それが近代社会のものづくりの現場なのである。均質な労働者によってこそ均質な商品を生むことができる、という神話はこの時代に始まったというのである。このアレントの解釈は今の建築の状況そのままである。できるだけ均質で瑕疵のない(欠陥のない)建築をつくらせようとする力学は、特に日本では、今でも非常に強固である。ものづくりに対する見えない偏見の直接的な原因どうやらこのあたりにありそうだと思っている。

| Posted: Riken Yamamoto

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