April 29, 2010 11:36 AM | Category: 山本

山本です。物の世界の内側にいる、という意味。

アイスランドの火山が爆発したおかげでチューリッヒに3日間足止めになっていた。予定外に時間ができて、チューリッヒの伝統的なお祭りを見た。春になったことを喜ぶようなお祭りだった。巨大な藁のタワーの上に雪だるまをのせて、その藁に火を付けて雪だるまを火あぶりにするという、うれしいのか残酷なんだか良くわからないお祭りである。確かにチューリッヒの長い寒い冬から春になるお祭りだから、雪だるまは過酷な冬に対してコノヤロといった気分の象徴なのだろうと思う。雪だるまめ火あぶりだコノヤロのお祭りである。そのお祭りには様々なギルド集団が参加して、その伝統的な衣装や道具やギルドのプライドの一大スペクトラムである。まるでもうコスプレ祭りである。もう500年の伝統があるということである。チューリッヒの町はこうしたイベント共にある。ギルド・ファーミリーが今でも生きているのである。(ギルドとギルドとの関係をソサイアティー、つまり社会という。社会は極めて私的なものだったんだ。アレントの受け売りだけどね。)
おもしろかったのは、フェミニズム・ギルドである。ちょっと変わったコスプレのおばさんたちがいて、彼女たちは20年ほど前から「女ギルド」を名乗っているのだという。ギルド・ファーミリーには女たちは参加できない。掟である。それを変えさせたのである。とはいえ、伝統のお祭りの中に実に違和感なくフェミニズムが収まっていた。
それは建築や都市景観についても同じである。古い町の構造を残しながら、それでも今の生活に見合うように注意深く更新されている。時間があったのでスイスの古い町、ベルンに行った。ケース・クリスチアンセにおもしろい町だよと勧められたのである。川がUの字型に蛇行していて、そのUの字状の内側にベルンの町がある。クロスセクションを描くと、山の字のようになって、その真ん中の大地にベルンの町がある。つまり両サイドが川に挟まれた丘陵である。15世紀に作られた町が少しずつ延伸して、リニアな長い町なのである。町は時代とともに作り直されている。私たち来街者から見れば、ただ古い中世都市が残っているという見え方しかしないのだが、路面電車が走って、トロリーバスが走って、城壁がなくなって、というように今の生活にあわせて少しずつ、あるいは大胆に町は変わっていっているのである。それでも基本的な骨格は厳密に残されている。建物にはいつこの建物が建てられたのかその築年を示す西暦が書き込まれている。1400年代、1500年代、中世都市がそのまま生きているかのようなのである。実際、ここに住んでいる人たちはこの町が永久にここにあるということを信じているように見える。「物による世界」は人々が生まれる前からここにあって、死んでいってもそこにある。「物による世界」とは「an"artificial "world of things」(Ibid,p7)人工物によって作られた世界のことである。「世界」とは人間の手による人工物の「世界」である。アレントの言う「世界」という意味が実際にここにある。ベルンという町自体がそこに住む人にとって一つの「世界」なのである。ベルンという町が「世界」としてそこに現れている。そういう働きをしているのである。ベルンに住む人々はその「世界」との関係の中で生活している。ヨーロッパの古い町に行って私たちが感動するのは、そうした物と人間の活動との信頼関係である。
ところがこの「物と人との信頼関係」は近代化と共に失われて行ってしまう。アレントによればそれは「労働」(labor)と「仕事」(work)の区別が喪失されてしまって、それ以降だということになる。つまり「労働」(labor)が私たちの「諸活動」(activities)の最上位に位置づけられてからである。
「近代の世界の物は、使用されるべき「仕事」(work)の産物ではなく、消費されるのが当然の運命であるような「労働」(labor)の産物となった」(「人間の条件」p186)「私たちは、自分の周りにある世界の物をますます早く置き換える欲求にかられており、もはや、それを使用し、それに固有の耐久性に敬意を払い、それを保持しようとする余裕をもっていない。私たちは、自分たちの家や家具や自動車を消費し、いわば貪り食ってしまわなければならないのである」(同掲書p187)アレントは「物を使用する」という意味を単に「手段としての物」とは考えない。その物の内にあってその物から刺激されその物に再び働きかけることを「使用する」という。「物の使用」は「物の消費」ではない。
建築も家も家具も自動車も単に消費の対象でしかない。これはまさに今の日本の私たちである。それを誰も不思議だとは思っていない。ノーマークだと言ってもいい。だからアレントの言うことが理解できないのである。アレントの解説書を読んでいても、この「物」に対するアレントの極めて強い思いがすっぽりと抜け落ちている理由である。
ベルンの人たちの物と人との関係と私たちと比べるとやはり向こうの方が、「物による世界」という思想をより自覚的に担っている、それが良くわかる。単に古い物はいいという、そんな問題ではなくて、私たちの「物」に対する思想が正に問われているように思う。建築家の責任なんだと思うんだけどね。
今度はバンコクに行くはずがドタキャンになった。向こうの主催者から危険なのでこないで欲しいという連絡が昨日の深夜にあって、首相も出席するはずだった国際シンポジウムがキャンセルになったのである。世界中で地域社会が崩壊しているのである。国家主義、これはグローバリズムというコインの裏と表である、その国家主義と地域社会との軋轢はこれからますます激しくなると思う。
「地域社会圏モデル」が重要な所以である。

| Posted: Riken Yamamoto

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