July 25, 2010 6:18 PM | Category: 山本

山本です、シリーズ2。「建築空間」は「表象の空間」である

それではその「単一機能・単一敷地」の施設がなぜ私たちの無意識と結びつくのか。
これも私たちの活動が「建築空間」の中にあるということと深く関係している。「建築空間」の中に現れる私たちの現れ方と関係している。「建築空間」の中では、私たち個人個人は常に、「表象(身分、肩書き)」として現れるからである。その建築空間の中では私たちは「あらかじめ定められた行動様式」に意識的、無意識的に従っているのである。「定められた行動様式」というのはいわば「作法」である。ハンナ・アレントはそれを'behavior(振る舞い)'と言った。(「人間の条件」p65)私たちは建築空間の中では表象されたその人にふさわしい振る舞い方(作法)に則って行動する。建築空間はその作法ができるだけスムースに行われるように設計されているのである。「個人が社会的地位にふさわしいものでなければならないという態度」(同掲書)が尊重されるように設計されている。たとえば学校だったら、先生は先生らしく、生徒は生徒らしく振る舞うことができる(作法に則ることができる)ように、病院では医者、看護婦、患者の序列をどんな場面でもできるだけ忠実に再現できるように、ホテルだったらそこに来るお客さんが、品のいいおじさんおばさん、良家の子女のごとく振る舞えるように設計される。あるいは住宅だったら、優しいママ、元気なパパ、賢い子供たちを演じられるようにつくられる。建築空間にあらわれる人間は、一人一人個性をもった人間としてではなくて、その社会の命ずる「作法」に従った「表象」としての、つまり社会的な役割としての人間なのである。建築空間の中に登場する人間はそうした「表象」として以外に現れようがないのである。それが「建築空間」である。「建築空間」は「表象の空間」なのである。
そこで、である。その建築空間が表象の空間であるとしたらそれを「施設」として扱うことで、そこに登場する登場人物たち、つまり利用者たちを画一的なそして固定的な表象として扱うことが可能になるのである。「施設」としての建築空間は、単一の機能に則ってつくられる。劇場、図書館、美術館、学校、特別養護老人ホーム、幼稚園、住宅など単一機能の施設である。そして、その施設は一つの敷地の内側につくられる。その敷地の外側とは関係を持たない。なぜならその外側との関係はその施設の単一機能を壊す恐れがあるからである。施設はあらかじめ敷地を決められ、機能を決められ、その単一性が保証されているわけである。だからこそ、その施設の利用者像(表象)はその単一性に見合うように極めて画一的な、つまり標準的(ノーマル)な人間として扱うことが可能になるわけである。その標準化がつまり見えない管理の仕組みの本質である。
「(管理された)社会は、それぞれの成員にある種の行動(behavior)を期待し、無数の多様な規則を押しつける。そしてこれらの規則はすべてその成員を『正常化(normalize)』し、彼らを行動(behave)させ、自発的な活動や優れた成果を排除する傾向をもつ」(前掲書、p64)というアレントの指摘は、それがそのまま「管理」あるいは「統治」の本質である。(管理された)という括弧内の補足は山本による。アレントは'社会'という言葉を極めて限定的に使う。私的に管理された集団関係を社会と呼んでいる。そして「統治の最も社会的な形式は官僚制である」(同掲書p63)とアレントは言う。そうだとしたら、逆に言えば官僚制がつくる統治のシステムによって運営されている今の私たちの生活が社会である。つまり「建築空間の施設化」は「官僚制」の本質なのである。「官僚制」とは統治者の見えない統治システムのことである。様々な施設においてその利用者は常に標準的(ノーマル)な人間として期待され、あるいはそのように教育されるのである。でも、多くの人はそんなことは意識もしない。「建築空間」の無意識化は、つまり、管理された空間の無意識化であり、その空間を使う人たちの標準化なのである。

| Posted: Riken Yamamoto

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