March 16, 2010 8:12 PM | Category: 山本

山本です。「住宅」シンポジウム

小林重敬さん、土居義岳さん、桑田光平さん、梅本洋一さんをお招きしたシンポジウムは、ぼくの進行役としての役目があまりうまく果たせなくて、それぞれの先生方には、あるいは聴衆の人たちにとっても、多少の欲求不満だったのではないかと思います。申し訳ありません。
このシンポジウムで話をしたかったことは、今度INAX出版から出版される「地域社会圏モデル」とかなり重複するのですが、住宅という居住施設が、実はかなり新しく発明された施設であるということ。それとそれが19世紀の政治・経済状況と深く関係していたということ。さらには今の私たちの住宅にも、その19世紀の状況が、未だに深く影響していて、もはや末期的になってきているのではないかという、そういうことを話したかった。聴衆の方々には半分くらいは理解してもらえたように思う。半分は次の機会にもう少し違う側面から話をしたいと思います。
前の日に、原広司さんの新しい本、「YET」の出版パーティーがあった。原研究室関係者を中心にしたかなり内輪のパーティーだったものだから、すっかり気を許してすごく呑んだ。久しぶりに原さんと話をしてその話が猛烈に面白くて気がついたら朝の6時だった。あまりよく覚えていないけど、ソシュールの話をした。ソシュールが筆記障害のようになって本を全く出せなくなってしまった。それどころが文章が書けない。言語学を極めた人が「執筆恐怖症」になった、という話と原さんの今度の「YET」(完成しなかった建築だけを集めた作品集である)。「YET」はそのソシュールの困難と関係している。原さんは本当は建築をつくりたくないんじゃないか。などという無茶な話を原さんにした。原さんは同意したかどうか覚えていない。答えをきくころはもうぼくはすっかり酔っぱらっていたからなあ。
それとボロノイ図の話をした。生研准教授の今井さんがいてその話になったのである。今井さんはボロノイ曲線の専門家である。ぼくは数学のことは分からないけど、ボロノイ図の1単位(一閉曲線)をさらに分割できるのか、その分割されたボロノイ図は全体の中で識別できるのか、等という質問をした。なんでそんな質問をしたかというと、たまたま読んでいた互盛央さんの「ソシュール」という本の中で、差別の構造というのは共同体の内側での他者の発見「内部の外部」だという話を読んだからである。差別というのは最も身近な他者、ほとんど微差でしかない他者を差別するという構造になっている。差別する他者は自分自身の内部なのだ。だから、差別という意識のないまま、差別の構造が生まれるのだと思う。怖いねえ。つまり、ボロノイ図のどこか一部が他の部分と違う、眼には見えないけど、数学的にはその差異を証明できるとしたら、なんだか怖いと思ったのである。

Posted: Riken Yamamoto |

February 21, 2010 1:24 PM | Category: 山本

山本です。アルゴリズムによるデザイン。

このブログ、去年の6月から始めて半年経った。かなりの部分が今度のINAX出版の本、「地域社会圏モデル」に掲載される。それを改めて読んだのだがかなり面白い。2009年に東大で行われた教育シンポジウムの感想文が最初だった。パラメタリック・デザインについて思ったことを書いた。
その文章をひょっとしたら参照したのかも知れないけど、伊東事務所でのインターン・シップの体験を書いた廣岡の文章はとても優れた分析である。一年間の総評にも書いたけれども、廣岡の分析を簡単にぼくが説明すると、アルゴリズムによる形態には、スケールも用途も素材も何もない。そのアルゴリズミック・フォルムにスケールや用途や素材を与えるのはそのアルゴリズミック・フォルムとは関係のないところから連れてこられた、慣習的なフォルムである。例えばドアだとか便器だとか、床だとか窓だとか、そうしたものと一体になることで始めてアルゴリズミック・フォルムが建築になる。ところが、一方でその慣習的なフォルムがアルゴリズミック・フォルムの純粋性を壊すような働き方をしているのではないのか、というのが廣岡の意見である。少なくとも伊東事務所のスタッフたちはそう考えているようだ、ということなのである。廣岡はでも、それは純粋性を壊すのではなくて、その慣習的と思われていたフォルムを見直すチャンスではないかと言う。あるいはアルゴリズミック・フォルムを見直すチャンスなのではないのかと問う。それは非常に正しい。建築について考えるということはそういうことなのである。建築のフォルムについて考えるプロセスで、従来の慣習的なものや、今、自分が考えている新しい建築のその新しさについて考える。その考え方について廣岡はひらめいたのだと思う。ぼくも廣岡と全く同意見である。この話を伊東さんにお会いしたときにしたら、そうなんだ、そこをぼくも考えたいと思っているんだ、ということでした。廣岡、伊東さんからも評価高かったよ。

Posted: Riken Yamamoto |

February 10, 2010 2:15 PM | Category: 山本

山本です。「地域社会圏モデル」出版

「地域社会圏モデル」というタイトルの本がINAX出版から3月に出版される。Y-GSAの山本スタジオのみんなにもがんばってもらって、かなり面白い本になったと思う。
長谷川豪、藤村龍至、中村拓士の三人にそれぞれ都心、郊外、農村で「地域社会圏」モデルを設計してもらった。Y-GSAの課題と同じです。自分たちの作品と比べてみてください。
その三人のプロジェクトに対して伊東豊雄さん、藤森照信さんの批評があって、さらに東浩紀さん、原広司さん、経済学者の金子勝さんにも参加してもらった。三人のプロジェクトは勿論面白いけど、その三人のプロジェクトを巡るそれぞれの批評がさらに面白かった。
このブログも活躍している。今までのブログを、ちょっと手を加えたけど、そのまま収録してもらったのである。これも臨場感があって良かったと思う。ブログに参加してくれた末光さん、仲さんどうもありがとう。
この本の中心は住宅である。今の「1住宅=1家族」というシステムがいつから始まったのか、その秘密が明らかにされている。必読だと思う。

Posted: Riken Yamamoto |

February 8, 2010 2:34 PM | Category: 山本

山本です。「地域社会圏データ」

Y-GSAの院生たちに「地域社会圏データ」をまとめてもらった。
「1住宅=1家族」を前提としたインフラの作り方と、「地域社会圏」を前提としたインフラの作り方とどちらが有利かというデータである。直感的に「地域社会圏」のように一定の人数をまとめた方が経済的には有利だと思う。でもどの程度有利なのかそれをデータとして集めて確認したいと思ったのである。来期はこれをもう少し充実させたい。でも、介護保険の制度や経済的にはどう有利に働くのか、そういうことがよく分からない。できればウイキペディアのような誰でも書き込めるようにすることができるといいんだけどね。
まとめてもらったデータはこれから出版されるINAXの本に掲載されます。

Posted: Riken Yamamoto |

January 20, 2010 10:38 AM | Category:

山本です。最終講評

昨日(19日)の最終講評は、トム・ヘネガンさんと小島一浩さんにゲストでいらして頂きました。朝10時半から夜の6時まで、長時間ありがとうございました。トムの指摘のように、どんな素材でつくるのか、ストラクチャー・システムはどうなっているのか。ディテールはどうなっているのか。そこまで到達したプロジェクトは少数派だった。到達というよりも、それはアイデアの最も初期の段階で、プログラムや初期スキームと一緒に考えられているはずのものではないのか。いつもぼくが言っていることでもあるよね。プログラムの解析があって、初期スケッチがあって、その後に素材やストラクチャー・システムが決まるというプロセスをたどるわけではない。最初から考えられてなくてはデザインできないと思う。むしろそれがデザインなんだと思う。
勘違いしている人が未だに沢山いるというのはかなり問題だなあと、トムに指摘されて改めて思った。次のセメスターからは相当真剣に心がけてください。

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January 13, 2010 10:41 AM | Category: 山本

山本です。建築に思想はあるのか

最近、書いていないけど、INAXの本の原稿がもうすぐ締めきりです。「地域社会圏データ」の最終責任者は玉田だったっけ。どうなりましたか?重要なテーマなので、最終確認したい。ぼくとINAXの高田さん宛にデータを送ってください。
今まで書いてきたこのブログをその本に掲載することになりました。全体を読み直して見ましたが、結構面白い。助手の末光さんや山本スタジオのみんなの文章もかなり面白い。スタジオの活動が生々しく伝えられると思うので、活字にするのもいいかと思っています。みんなの書いた文章を載せるのだとしたら改めて相談します。

ところで、「地域社会圏」の重要さは建築家の責任や権利にも関わっているとぼくは思う。つまり、建築家というのは思想を問われているのだということを改めてわれわれは考えているからである。
'建築に思想はあるのか'という問いは実は奇妙な問いである。厳密に言えば間違った問いかけである。建築は'もの'である。何者かによってつくられた'もの'であるとしたら、その'つくる人の思想'を問うというのが正しい問いである。ところがここで問題がおきる。それでは一体建築をつくる者は誰なのか。クライアントなのか。思想と問うとしたらクライアントの思想が問われるのか。仮にクライアントであるとする。そこでもう一度問題が起きる。クライアントとは何者なのか。その建築の利用者なのか。利用者が必ずしも発注者とは限らない。分譲住宅の利用者は住人だけど、建築の発注者はディベロッパーである。あるいは建設資金を出す人が発注者とは限らない。公共建築の場合は、建築をつくる資金は税金である。あるいは住民たちの積立金である。発注者は地方公共団体の首長である。そして利用者は住民である。そしてその建築の管理者は時には地方自治体である。この場合、クライアントは誰か。クライアントの思想が問われるとしたら、その思想は誰の思想か。
そして、建築をつくる場合、もう一人有力なエージェントがいる。'建築をつくる人'というのだとしたら、文字通りつくる人の中心にいるのは設計者である。ここでさらにまた問題が複雑になる。建築の設計者とは何者か。その建築は誰のために設計するのか。ディベロッパーなのかその建物の住人なのか。地方自治体の首長なのかその施設の利用者なのかあるいは管理者なのか。誰の方を向くにしても、その誰かの思想の命ずるままに、その命令に忠実に従うのが設計者なのか。設計者には'つくる人'に固有の思想はあるのか。
実をいうと、いまや大混迷なのである。もともと設計者という存在自体が日本の社会と馴染みがあまり良くないということもあったけども、あの姉歯事件以来ますます混迷が深まってしまったのである。
設計者に固有の思想があって、その思想に共感するからこそ、その設計者に仕事を依頼するという依頼の仕方が一方にある。その対極には、どのような建築にするかは発注者の側で既に決めてしまっていて、その考え方に則って設計する。それを忠実に果たすことを期待される。そういう依頼の仕方が一方にある。ここでは設計者の思想は全く期待されていない。
多くの場合、設計者に対する期待は後者である。単純にいえばハコもの技術者としての設計者である。
今や混迷の建築業界なのである。
「地域社会圏」はそういう意味でも、設計者はなしをするのか、何をすることができるのか、という問いかけの重要な答えなのである。
地域社会のための建築家ということ、その意味をきちんと伝えたい。

Posted: Riken Yamamoto |

December 13, 2009 11:23 PM | Category: 山本

山本です。'地域社会'はインフレ状態

最近はコミュニティーという言葉がインフレ状態だ、と東北大の社会学者の吉原直樹さん。11月20日のシンポジウムの時の話である。確かに今日(12月13日)の新聞の読書欄にしても地域社会やコミュニティーに関する話題が多くなっているのが分かる。ぼくの学生の頃は全く逆だった。コミュニティーなどというと笑われた。それも鼻の先で笑われた。そんなもの誰が信じるか。実存、主体、自由、疎外という言葉は当時、多くの私たちが暗黙に共有している言葉だったけど、コミュニティーは最も恥ずかしかった。家族などといっていた私はかなり恥ずかしかった。磯崎さんは「都市住宅」という雑誌の誌上コンペで「父を殺せ、母を犯せ」等とアジっていた。今、思うとこれも結構恥ずかしいけど。
コミュニティーというのはイデオロギーではなくて、不可避の関係だと思う。コミュニティーの内側にいないと生きてゆけない。そういう関係として考えた方が現実を説明できるように思う。東浩紀さん、藤村龍司さんとの鼎談でも、つい最近お会いした金子勝さんとの話(中村拓史さんとの鼎談)でも、それが話題になった。東さんとはコミュニティーは、既に崩壊しているようでいて、しっかり生きている。それは今は擬似的なコミュニティーにしか見えないけど、実は大きな働きをしているのではないかという話をした。金子さんとは、コミュニティーはもっと鍛えられる。今の経済原則を超えて強靱な仕組みを考えることができるはずだというのが金子さんの指摘だった。
イデオロギーとしてではなくて、現実にあるものとして、コミュニティーについて話をすることができるようになったというべきなのかも知れない。コミュニティーという言葉のインフレはいいことなのだ。

Posted: Riken Yamamoto |

December 8, 2009 12:45 PM | Category: 山本

山本です。「地域社会圏データ」について

最近、INAXの本をつくるために、何人かの僕のお会いしたいと思っていた人に話を伺うチャンスがあった。例えば東浩紀さん、フランス近代史の研究者の中野隆生さん、僕の師匠の原広司さん、あるいは建築家協会の企画で、政治思想史の研究者の原武史にも話を伺った。東さん、中野さんはこのブログでも触れたことがあるけど、原武史さんには始めてお会いした。「滝山コミューン」という猛烈に面白いドキュメントを書かれた人で、是非、話をしたいと思っていたのである。原さんは電車オタクとしても有名でもある。西武線沿線の住宅団地がいかに他の沿線、例えば東急沿線と違うか。その特徴はなんなのか。1970年代の初頭に滝山団地に住んでいた時のドキュメントが「滝山コミューン」である。原さんの小学生の時の記録である。小学校を中心としていかに政治的な空間がそこを支配していたか、それをはらはらするような状況と共に描写して、小学生の時の記憶をそのままドキュメントにできるとはすごい、と思わず感嘆してしまった。小学生の原さんのトラウマになるほどその政治性は強烈だったのだ。話をしていて面白かったのは、当時の団地という空間が全くの政治的な、あるいは宗教的な無菌状態だったということである。一緒にシンポジウムに参加した都市機構の井関さん、井関さんは東雲の計画の担当責任者だった人である、その井関さんの話では住宅公団(今の都市機構)の計画地は徹底して宗教的、政治的空白地域をその対象地として選んだのだと言う。神社仏閣の側にはつくらない。既存の地域コミュニティーが強いところにはつくらない。それが鉄則だった。つまり、できあがった団地は全くの政治的、宗教的無菌状態だった。そういう場所としてつくられたのである。そこに一気に接近したのが日本共産党と創価学会だった、当然だろうと思う。無菌状態の無防備な人ばっかりだったんだから。それと団地という「1住宅=1家族」単位の集合体は一軒一軒オルグするには最適な空間である。「1住宅=1家族」という単位が相互に完璧に切り離されているからである。もともとそのように計画されているのである。西武線沿線の住宅団地は共産党と公明党のオルグの場所として、最適地だったのである。
原さんは学者である。中野さんの時にも感じたけど、そのデータを集める執念深さはすごい。だから人を惹きつける文章が書けるのだと思う。ネットで調べて、はい、データ、それじゃあ論文にならない。

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Posted: Riken Yamamoto |

November 7, 2009 11:40 PM | Category: 山本

山本です。インディペンデント・スタジオ

「地域社会圏データ」は良くまとまっていると思う。
今の現実をデータにして「日本が400人の社会だったら」その社会はどのようなシステムになるのか、というデータ分析は面白い実験だと思う。INAXの高田さんとも話をしてみるけど、最終的にはもう少し整理が必要だと思う。
家族のような小さい単位を「S」そのSの集合単位を「M」さらに大きな単位を「L」と呼んだのは秀逸だと思う。呼び方はすごく単純だけども、実は極めて本質的である。私たちの頭の転換を呼び起こすのである。今まで、最も小さな単位をなんと呼んだらいいのかその適当な呼び方がなかった、ということをそれが示唆するからである。今までは「家族」と呼んでいた。でも、家族と呼んだとたんに、父母子供という複数人による一つのセットを思い浮かべざるを得ない。それが標準的な基本単位である。だから、その標準からはずれてしまう人たちをなんと呼んでいいかわからなくなっちゃったのである。単独世帯、高齢者世帯、片親世帯、世帯というのは標準家族を前提としているから、その標準に乗らない人たちを特別な呼び方で呼んでいたのである。
家族は多様化しているというけど、その多様化した人たちの生活を全て家族と呼んでいたというのはよく考えて見ると、相当おかしい。同性愛者同士の結婚を認めるのか、夫婦別姓を認めるのか、そうした議論は全て今の家族という単位を前提にしている。個人個人はどんなキャラクターであったとしても、みんな家族を装うのである。それを多様化って呼ぶか。
何故装いたいのか、社会を構成する最小単位を「家族」って呼んじゃったからである。

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Posted: Riken Yamamoto |

October 24, 2009 11:04 PM | Category: 課題

次回山本・インディペンデントスタジオ

次回のスタジオは26日(月)12時からです。よろしくお願い致します。

SMLの話、山本先生の定義の仕方だと私達が考えていたものから更に、SもMもLも再度設定するという事になってくると思います。確かに前回の話し合いの中で使われていた「S」という言葉も個人世帯や核家族などと広義に捉えていましたが、「SかLしかない」というようにそこを否定的に用いるのでなく、再設定していくことで提案の形でSMLの言葉を使うこともできると思いました。

現在分担して作業している考え方とは少し異なるので、ミーティングのとき整理しながら話し合いたいです。

仁井田

Posted: Y-GSA Webmaster |

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