September 30, 2011 3:03 PM | Category: 山本

山本です。梅本洋一さんの文章。

梅本洋一さんがぼくの最終講義の感想を書いてくれた。書いてくれたのは4月で、こんなに時間が経ってしまったけど、さすが映画・演劇の専門家。済みません、梅本さん、溜飲を下げたので勝手に掲載させていただきました。

2011年4月28日「週間平凡」梅本洋一

 大学の同僚の山本理顕さんの最終講義があった。理顕さんが最近、熱心に考えている「地域社会圏」が中心でとても興味深く聞いた。そのときに配られた小冊子に理顕さんが「atプラス06」に書いた記事「建築空間の施設化──「一住宅=一家族システムから「地域社会圏」システムへ」が採録されていた。この最終講義とその文章はエコーのような関係になっていた。

 最終講義の方は、建築が社会の関係性を創出するという建築原論から、個々の関係の間にある「閾」について語られ、それが「地域社会圏」にハンナ・アーレントを介して接続されていた。「atプラス06」の方でも、やはりハンナ・アーレントがアジャンスマンになっているが、現代社会における建築の置かれた立場についての解説に重きが置かれている。インフラの整備に伴い、建築はインフラの先端にある「施設」に過ぎないものになり、建築家は、「施設設計者」に成り下がってしまった。社会の中の、人間たちのビヘイヴィア(アーレント)が画一化され、住宅は住むための施設に、ホテルは泊まるための施設になることで、これまた画一化され、画一化されることによって「官僚制」が担保されていく。アーレントばかりではなく、フーコーの権力論の展開に近い現代社会の描写になっていた。問題なのは、施設設計者の役割しか与えられていない建築家は、いったい何が提案できるのかということだ。建築家・山本理顕の作業とは、施設設計者としての役割しか与えられていない地位への徹底した反抗であり、反転攻勢だったように思う。

 そんな文章の中に、小田原市の多目的ホール(結局、市長が代わり、廃案になってしまったようだ)を設計した理顕さんを批判した井上ひさしの文が引用されている。「多目的ホールといった発想は貧弱です。必ず無目的ホールに堕落します。(......)世界のいい劇場はみんな、一見平凡な型をしています(そこに劇場の本質があります)。へんてこりんでいいのは演目だけです」。『こまつ座』の機関誌「the座」のために世界の1000もの劇場へのアンケート取材を行い、日本で一番劇場に詳しいと井上ひさしは豪語して、上記の発言に繋がっているようだ。ぼくの好きな世界の劇場には、パリのオデオン座のように、19世紀の首都(ベンヤミン)が生んだもっとも劇場らしい劇場もあるけれども、ナンテールのアマンディエ劇場のように「へんてこりん」な劇場もあるし、ピーター・ブルックが長年演出の場所に選んだ、平凡な劇場が焼け落ちた廃墟のようなブッフ・デュ・ノールのあるし、20世紀末の演劇史に偉大な名を刻み込んだ太陽劇団が常打ち小屋として使用したヴァンセンヌの森の中にある昔の弾薬庫だった大空間もある。もともと演劇史は劇場史と軌を一にしていて、ギリシャの円形劇場、ローマの半円の劇場、ルネッサンスのイタリア式劇場、シェイクスピアで名高いエリザベス朝式劇場などの空間的な造作が、演目をも支配したことは演劇史の常識だ。ぼくも、そうした演劇空間(セノグラフィー)の歴史を、かつて一冊の書物にまとめたことがあった(『視線と劇場』弘文堂、1987年)。井上ひさしは、そうした演劇史にまったく無知だったとしか言えない。むしろ空間は「へんてこりん」で良いのだが、演目はむしろ古典的な(平凡な)ものが良く、それを「へんてこりん」な空間でどうやって作り上げていくのかが演出というものだ。20世紀後半の演劇史は、既存の演劇空間への反撥として記述されるはずだ。日本でも、唐十郎の紅テント然り、佐藤信らの黒テント然り、喫茶店の2階を演劇空間にした初期の早稲田小劇場然り、そして街頭演劇を目論んだ寺山修司然り。それらの演劇実験に比べれば、井上ひさしの「こまつ座」の舞台など、従来の劇場構造にまったく疑いを持たない保守的な舞台にすぎない。

 つまり、劇場は施設ではない。舞台空間という生み出す、創造の源なのだ。一番有名な例は、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』のバルコニーのシーン(「なんであなたはロミオさまなのでしょう」とジュリエットがバルコニーを下から上がってくるロミオに言う件)だろう。エリザベス朝の舞台には、かならずバルコニーがあって、上層を下層のふたつの演技空間があった。だからこそバルコニーのシーンが想像できたことになる。つまり、エリザベス朝の「へんてこりん」な舞台空間がなければ、『ロミオとジュリエット』なんて生まれなかったろう。劇場という空間は、舞台にとって決定的な要素なのである。

Posted: Riken Yamamoto |

September 26, 2011 10:57 PM | Category: 山本

山本です。「日本における近代国家の成立」

「企業の立場はフランスや合衆国などにくらべると控えめであり、直接に政治の責任に参加することも比較的少なかったのである。このような妥協(企業が旧来の封建的な要素と妥協してそれをサポートするようになったこと)「注・山本」の重要な副産物として、はじめから封建的色彩の濃い官僚が発生した。官僚は平時には従順な行政機関であるが、にもかかわらず、半独立的な独自の活動を営み、強い団結心を発散している。
歴史的に見れば、官僚が独特の地位を占めるようになった理由は、維新の直後に、一方で改革的な諸藩に体現される勢力と、他方では各種企業の勢力との、微妙な均衡の上に立ったところにある。やがて官僚は兵器製造や造船といった軍事的・国家統制的諸産業を、みずから管理するようになった。官僚上層部はその大部分が従来の封建的・貴族的階級から選び出された人びとであって、職業政治家を三百代言として軽んじる地位を占め、議会のような下級機関はいうまでもなく、たとえ大臣がその(官僚集団の)集団的意志を無視して改革を試みようとしても、ほとんど干渉のくちばしをいれさせなかった。」(E.H.ノーマン「日本における近代国家の成立」岩波文庫、大窪愿二訳)1939年に調査報告書として「ニューヨークの太平洋問題調査会」に提出されたものである。1940年にはそれが刊行されている。
日本の官僚制がこれほどまでに強力になった理由を明治維新まで遡って分析している、その洞察力がすごい。
企業が政治に直接的に参加しない代わりに、その役割を官僚が代行した。官僚と企業が手を結んだわけである。官僚は一方で国家統制的産業を管理し、半独立的な行政(政府)組織になっていったというのである。明治変革の結果である。官僚組織という半独立的政府から見たら「議会のような下級機関」「改革を試みようとする大臣」なんてへのようなものである、というノーマンの分析は今の日本の現実そのものである。官僚組織は企業と一体になって日本を運営する最も強力な機関なのである。どんな政党でも、どんな大臣でも、どんな政治体制でも決して揺るがない機関である。官僚の天下りが問題になっているけど、こうして考えると、官僚と企業との関係は天下りではなくて、もともと一体的なものなのである。官僚が企業を運営しているのである。原発、東電、JR、URから始まって金融業界、建設業界、運送運輸業界、つまり業者と呼ばれる民間企業(この話も以前に書いた)は官僚組織の下部機関である。許認可権と天下りでほぼ完全に掌握しているわけである。
アレントが官僚制と「社会」との関係を指摘していた。アレントは外部に対して極めて閉鎖的な組織を「社会」と呼ぶ。(2010年3月11日のブログ参照)正に日本の官僚制は社会そのものである。選挙制度や民主主義(デモクラシー)とは全く関係のない官僚制が日本を運営しているのである。それを今から70年も前のアメリカ人が指摘している。

Posted: Riken Yamamoto |

September 23, 2011 9:10 AM | Category: 山本

山本です。「美しい町」

「もし科学が完全に発達した時には、今われわれが必要とするような大仕掛けな電灯会社(それは電灯ばかりとは限らないが)などにたよらずとも、一軒の家に必要なだけの光ぐらいは、ちょうど人々がランプをともすに費やすと等しいほどの手間と用意とで自分たちの電灯を自分たちの簡単な機械で灯す時代が来るに相違ない。ちょうどあらゆる家庭がミシンの機械を重宝しながら使用するように。その時始めてもろもろの機械は恐るべきものでも憎むべきものでもなくなって、真にわれわれの日常生活の仲で欠くことのできない愛すべきものになる。われわれ人間のの生活が極致に達して合理的なものになるためには、われわれの生活の反面である科学も、それ自身の方法でその極致の発達を遂げねばならない。私の考えでは、今日あるすべての有用な機械が、最も十分に発育を遂げた時には、あらゆる機械力は、そのどんなものでも、刻々に人の健康を腐食させなければ措かないような大工場だけでなければ動かさないというようなものではなくって、例えば、それは良く愛育され飼い慣らされた優しい野獣ーー馬や牛が、ただその美しい能力だけを残していて人を助けるように、そうして人々が愛情をもってそれに近づくことが出来るように、あらゆる必要な機械は取り扱いやすいものになり、個人の楽しい好きな手芸を最も機械に手助けする最上の道具になる。その時期こそ、またすべての機械工業が芸術に高められるための一階梯ででもある。
(今の)すべての機械工場はいわば芸術上のミリタリズムではないか」(「美しい町」佐藤春夫:中央公論社・日本の文学、p173)
1920年(大正9年)の文章である。ある資産家が築地の中州に新しい町をつくるという話である。設計はヨーロッパで教育を受けたけど、既に時代にあわなくて仕事のない老建築家。100戸程度の住宅群である。100年位はそこにそのままあるような町を目指す。1920年というとイギリスの田園都市計画、レッチワースの建設が1903年に始まってそれが具体化している時である。二つ目の田園都市ウェリン・ガーデン・シティ ができあがるのが1920年である。佐藤春夫はそういうヨーロッパの状況を多少は知っていたのかも知れない。でもそれにしても、科学が発達するということはその技術開発の方向が巨大化重厚化長大化に向かうのではなくて、身近にあって操作しやすくて愛着を持てるような方向に技術開発が進むはずだと思っていた。それを期待していたのである。"刻々に人の健康を腐食させなければ措かないような"原発の技術を過信して、その巨大プラントを日本中につくって送電網を張り巡らせるというような考え方を既に1920年に否定していたわけである。そういう重厚長大技術を"ミリタリズム"と言ってばっさり切り捨てている。
90年も昔の思想を私たちは反芻する。「美しい町」はまるで「地域社会圏モデル」のような町である。この小説の中では実現しない町だけれども、今度こそはそれを実現したいと思う。まず「地域社会圏モデル・リアル」という本をつくる。12月22日のシンポジウムまでにはがんばって出版したい。

Posted: Riken Yamamoto |

August 15, 2011 8:03 AM | Category: 山本

山本です。ベニスビエンナーレ・東京展

北山恒さん塚本由晴さん西沢立衛さんによるベニスビエンナーレの展示をオペラシティーで見た。ついでに「地域社会圏」のレクチャーをして北山さんと対談してきた。展覧会は実際にベニスでも見たけど、改めて見て、改めて素晴らしいと思った。
塚本さんと西沢さんの1/2スケールのモデルはそのスケール感が面白い。1/2というスケールが現実と虚構(模型)の間にあるために、つまり現実でもないし、虚構でもないちょうどその中間にあるために、見る側の意識が現実と虚構のあいだを行ったり来たりするような仕掛けになっているのである。見る側が「物語」を自分でつくることができるような仕掛けになっている。小さな子供だったら例えば身長90センチの子供だったら、ほとんど自分たちの世界のリアルな建築である。子供たちから見たらそう見えるだろうなあ、とわれわれ大人たちの思考を刺激する。見る人たちによる様々な「物語」を許容するようなつくられ方がとても良いと思った。そういう意味では塚本さん貝島さんたちの中途半端なリアリズムが成功している。掛け値なしに楽しい。西沢さんのモデルはちょっと抽象化されすぎていて、現実の側に頭がスイッチしにくい。エンタテインメントを排除しようとする純文学作品のようなモデルだった。もうちょっとサービスしてもいいのになあ。でも、ベニスでも思ったけど、この二人のプレゼンテーションは周辺の様々な国のプレゼンテーションに比較して、抜群だった。
際立っていたのは、日本館のテーマが住宅だったということである。住宅を現在の建築的なテーマにしたというのは北山さんのアイデアだと思うけど、それが極めて新鮮だった。住宅、特に個人住宅なんて建築の問題にはならない。それは昔、20年以上も前に磯崎新さんが言ったことだった。やはり20年近く前、10+1の座談会で坂本一成さんは「住宅問題は社会問題で、建築の問題ではない」と言い切った。(10+1:1994.Autumn.p113)私とは全く違う意見だった。住宅問題を社会問題にすることで、建築家たちはその社会問題に触れることなく、「住宅という建築」を単にフォルムの問題、形の構成の問題だけに矮小化(敢えて言うけど)することができたのである。住宅問題、つまりその供給の仕組みや住み手との関係あるいは都市との関係である。それはこの20年間建築家にとってはほとんど思考の範囲外だった。今でも多分そうである。
その間に日本の住宅政策は持ち家制度に徹底してシフトしていって、住宅に住みたい人は、住宅メーカーの戸建て住宅か、民間ディベロッパーの高層マンションを購入するしか選択肢がなくなっていったのである。2000年以降、地方住宅供給公社、都市基盤整備公団は公共住宅の供給をやめてしまった。2000年の「住宅宅地審議会」の答申ではっきり言っている。「住宅宅地の取得、利用は国民の自助努力」である。つまり国家はもはや住宅に対して一切の援助はしないということである。援助どころか、住宅は民間ディベロッパーの利潤をあげさせるための役割しか、もはや持っていない。住む人のためにつくられているわけではないのである。2006年の「住生活基本法」で住宅関連業者の住宅への参加の仕組みが整備されて、2007年には住宅金融公庫が廃止された。民間の住宅金融業者への支援機構になってしまったのである。つまり国民に持ち家を促進融資する組織から、民間金融機関をサポートする組織に組織変更されてしまった。どうやったらお金のない人たちに金融機関からお金を借りさせて、住宅を持たせるか、それが仕事である。住宅は完全に市場に委ねられてしまったのである。そして「市場が感心を示すのは購買能力を備えた消費者の欲求だけである。」(「不完全都市」p47平山洋介)と平山さんは言うけど、全くその通りである。低所得者たちの行き場がない。住む場所がないというのが今の日本の状況である。住宅は経済成長のための単なる道具なのである。こんな政策でいいのか。
これは国家的な犯罪に近いと私は思う。
というような話しを北山さんとの対談でした。
日本の都市は住宅でできている。戸建て住宅でできている都市なんて先進の近代国家の中では日本だけである。その異常な都市の景観を北山さんの表現は良く説明している。最近のビエンナーレの中でも秀逸だと思う。なぜこれがグランプリじゃなかったのか、それが不思議だ。

Posted: Riken Yamamoto |

July 17, 2011 5:35 PM | Category: 山本

山本です。三浦展さん主催の震災シンポジウム。

昨日(7月16日)、三浦展さんが主催する「カルチャースタディー研究所」が中心になって「3・11後の社会デザイン」というテーマのシンポジウムがあった。山本事務所が共催になっていた。同様に共催をした藤森龍至さんが司会者。1時半に始まって7時過ぎまでという長丁場のシンポジウムである。一部、二部に分かれているのだけど、山本はその両方に参加して冒頭に問題提起をするという役割である。聞いていなかったのでちょっと慌てたけど、とりあえず三浦さんにあらかじめ送っておいたコメントをできるだけ簡潔に話した。
1.「1住宅=1家族」という居住システムは経済成長のためには最も有効な住宅供給の方法だった。それはこれからも有効な供給方法なのか。
2.経済成長が国家運営の中心原理になったのはいつからなのか。それはいまだに、そして今後も唯一の中心原理なのか。
3「助け合って住む」という住み方、助け合うということは今回のような非常時においてのみではなくて、平時においても極めて有効なはずなのに、そして今後の高齢化社会においては不可避の住み方であるはずなのに、それがどこか偽善的に聞こえてしまうのはなぜなのか。
4.景観を大切にするということにはどういう意味があるのか。景観は記憶である。そこに住む人たちが共有する記憶である。私たちがどこで生まれてどこで死んで行くのか、その場所が記憶されることは"私たち"という共同の意識が記憶されることである。
この4つのことをシンポジウムの冒頭に話した。
今までこのブログで話しをしてきたことである。

「1住宅=1家族」という住宅供給のシステムが20世紀の私たちの生活を決定的にした。今回の震災の最大の被害者は直接的に震災による被害を被ったけど、実はこうしたシステムによって誘導された被害者なのである。1970年以降、大規模インフラの整備は徹底して国家の専管事業である。それに対して住宅は持ち家政策が最優先されて、自己責任で住宅をつくるという国家の側の責任が回避される方向に進んだ。住宅からの国家の撤退、住宅にはできるだけ国家予算を使わない。それが持ち家政策の根幹だった。「1住宅=1家族」システムと呼んでいるのはそうした政策であり、住宅供給のシステムのことである。そのために民間の住宅供給会社、ディベロッパーや住宅メーカー、あるいは民間の金融会社は圧倒的な利益を獲得することができたのである。多くの人たちは整備されたインフラを信じて住宅をつくった。当然そのインフラは決して崩壊しないことが前提である。それが壊滅的に崩壊した。そして自己責任でつくった住宅も崩壊した。インフラは再整備されるだろう。既に進んでいる。でも自分の責任でつくった住宅には国家の側は決して手をさしのべない。すべてを失った人たちはまた自分の家をゼロから、というよりもマイナスから作り直さなくてはならないのである。流された家のローンを払い続けて、その上、新たな住宅のためのローンを組むなどということはほとんど不可能だと思う。こうした構図がなぜ問題にされないのだろうか。
問題は住宅政策なのである。その持ち家政策そのものが全否定されたのである。その深刻さに多くの人は気がついていないように思える。エネルギー・インフラを原発から自然エネルギーに転換する。ソーラー・パネルに補助金をつける。風力発電や地熱利用を促進する。問題はそんなところにはない。そんなことは誰が考えてももはや当然のことではないか。問題をそのエネルギーを消費する諸費のシステム、つまり生活のシステムそのものを変えるということなのである。「1住宅=1家族」という生活のシステムを変える。そこが中心のなのである。そういうことを話したかったのだが、何せ参加人数が多くてどこまで通じただろうか。

Posted: Riken Yamamoto |

July 2, 2011 2:44 AM | Category: 山本

山本です。マドリッドでのワークショップ。

フェリックス・クラウスからマドリッド工科大学でワークショップをしてほしいと言われていた。なかなか行くチャンスがなくてもう2年ほど経ってしまった。漸くチューリッヒの打ちあわせにタイミングを合わせて行くことができたので、イベリコ豚とカバでのんびりしてこようと思って行ってきた。もと山本事務所のスタッフで今bbrというへんてこな名前の事務所で活動している蜂屋啓二さんにも同行してもらった。
大学院生は30人弱、主に南アメリカを含むラテン系の国々から集まってきていたけど、中にはサウジアラビアからの女子学生も混ざっていて、相当の国際色である。課題は「地域社会圏モデル」である。地域社会というものをどのように学生たちが考えるのか非常に興味が合ったからである。
わずか4日間だったけど、みんなかなりがんばって、蜂屋さんもがんばってくれて、6グループの学生たちからはとても面白い提案が集まった。Y-GSAと基本的には変わらない。「1住宅=1家族」という考え方を踏襲しない。新しい「地域社会圏」に相応しい居住方法を考える。場所は既に開発が進んでいる振興の住宅地である。周辺は7〜8階建ての賃貸住宅が並んでいる。それがとてもいい。若い建築家たちがコンペで獲得した集合住宅である。日本に比べるとつくづくスペインの建築家は恵まれていると思った。
「ミスター・ヤマモト」サウジアラビアからの女子学生が言った。わたしんちはおじいちゃんの家があって、それはとても大きな家だ、それとお父さんお母さんの家、おじいちゃんには奥さんが他に二人いるから、その二人の奥さん一家の家、それはあまり大きくない。80平米〜100平米くらいかなあ。私の部屋ももちろんある。みんな合わせるとかなりの大人数になるけど、それは「地域社会圏」と呼んでもいいか。という質問である。「その大人数の人たちの単位はなんて呼ばれているの。」「コンパウンド:compound」インドでもコンパウンドと呼ばれている。インドネシアでは「カンポン」である。インドネシアの「カンポン」は「地域社会圏」に近い。親族集団ではない。でもそのサウジアラビアのコンパウンドは親族集団で、とても閉鎖的で周辺とは全く隔離されている。そういうゲイテッド・コミュニティーは「地域社会圏」とはちょっと呼べないだろう。実際その「コンパウンド」が外に対して開くなどということはちょっと考えられないという彼女の意見だった。都市の中の新しい住宅はほとんど「1住宅=1家族」でできているはずだから、そうした「1住宅=1家族」と「コンパウンド」が混在しているような都市をつくったらいいんじゃないか、と言ったら納得しているようだったけど、できあがった作品は、まあ普通の集合住宅だった。でも、こういうことがあるから海外のワークショップは面白い。
架構方法を考えること、材料を考えること、住み方をかんがえること、Y-GSAと同じことを言い続けたけど、最後は手際がみんな良かった。チーズで模型をつくった学生がいて、素早くつくれる、どこでも材料が手に入るって自慢していたけど、さすがにマドリッドだ。
最終のジュリーにフェリックス・クラウスと吉良森子さんが参加してくれた。どうもありがとうございました。おかげで盛り上がりました。イベリコ豚とアンチョビとカバでちょっと太ってしまった。

Posted: Riken Yamamoto |

June 18, 2011 9:35 AM | Category: 山本

山本です。榑沼範久さんと話しをした。

石巻に榑沼範久さんと一緒に行ったという話しを既にした。「助け合って住む」というような考え方がなぜ偽善的に見えてしまうのか、「助け合う」とういうそうした考え方に対してなぜわれわれはそれをシニカルにしか受け止めようとしないのか。榑沼さんとそういう話しをした。その時に榑沼さんがフロイトとダーウィンの二人を取り上げて、その二人の考え方が正反対であるという、とても刺激的な話しをしてくれたので、それ以来ずっと気になっていた。
そこで改めてメールを出した。返事をもらった。そのメールは私信だけど、それがまた極めて刺激的なので榑沼さんにことわりなくここに掲載させてもらいます。後ほどもう少しちゃんと話しをしていただく機会を持ちたいと思いますので、済みません。ご容赦ください。


榑沼様

石巻にご一緒したときにも話しをさせていただきました。「助け合う」ということに対して私たちはなぜそれをシニカルにしか受け止めないのか、いつ頃からそういう受け止め方をするようになったのかという話しです。
榑沼さんはフロイトとダーウィンの話しをされましたが、即座にその二人を持ち出したことにとても刺激をうけました。
その話しをもう少し詳しく教えていただけませんでしょうか。
建築の側からですと、パリの2月革命以降、労働者たちが集団化すること(フーリエ主義)を恐れた産業資本家たちは「1住宅=1家族」を住宅供給の原理にしたのだと思います。その「1住宅=1家族」と「助け合って住む」ということとは全面的に矛盾します。
近代化の感性と「助け合う」ということとは相互に矛盾することなのかなあと思いました。
何かの機会にお教えいただけたらと思います。

山本さま

取手の「メディア概論」では、一般的な「メディア論」ではなく、「メディア」「ミディアム」の多義性をもとに、万物になるべく言葉を届かせたいと願いながら、話をしています。
前回は、生きものの命のつらなりと、媒介としての個体の命の話から、ダーウィンについても話をしました。生物学者であっただけでなく、心理学者、地質学者、自然史学者だったダーウィン。ミミズと土壌について、長年の観察を人生の最後にまとめたダーウィン。

主著『種の起源』(1859)の全題名
On the Origin of Species by Means of Natural Selection, or the Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life
これをどう理解するか(翻訳するか)。ここからすでに、何か重要なことが賭けられていると思います。

私はこのthe Struggle for Lifeという言葉をダーウィンが書名に綴ったのを知って、鳥肌が立ちました。
日本語の「生存闘争」からイメージされる、「万人による万人の闘争」「自由主義的競争」「弱肉強食」は、自然状態の全部ではなく、部分です。the Struggle for Lifeはむしろ、「生きるための闘い(努力)」、「生命のための闘い(奮闘)」「命のための闘い」です。
そして、この「生命のための闘い」では、助け合うことに対してシニカルになっている場合ではありません。
『人間の由来、および性に関する選択』(1871)(邦訳『人間の進化と性淘汰』)の
なかでダーウィンは、人間にとって重要なのは、愛情と共感という感情だと述べています
(『人間の進化と性淘汰II』ダーウィン著作集2、文一総合出版、、452頁)。
無償の愛情、無償の共感というわけではありません。愛情と共感は「同じ集団に属し
ている個体」に向けらると、ダーウィンは考えました。そして個体および集団の生存に有利だから、愛情と共感という感情は保存され、「社会的本能」になったのでは、と論じられます。
無償の愛情、無償の共感ではないから、愛情や共感は偽善なのでしょうか?
私は偽善とは感じません。ダーウィンにとって、愛情と共感は、「生命のための闘い」のなかで獲得することができた、能動的な力能なのですから。

ニーチェの『道徳の系譜』(1887)がフロイトよりまえに、これを転倒させたのかもしれません。助け合いや同情を説く道徳は、他者を圧倒する生命力が衰退した弱者が、強者の力を恨んで打ち立てた、生命に反する価値にすぎない、と。
フロイトはダーウィンとニーチェの二人の著作に親しんでおり、ダーウィンを非常に尊敬していたのですが、考えかたの枠組みはニーチェに従っているようです。フロイトの『文化への不満』(1930)は典型です。

フロイトによれば、愛情や良心は、欲動を満足させることができなかったときに生じるというのです(『幻想の未来/文化への不満』光文社古典新訳文庫、203―204頁、25頁)。ニーチェと同じく、愛情や良心は、あきらめから反動的に生じる感情として、いわば馬鹿にされています。

本当の目標を達成できなかったくせに、愛情や良心を価値あるものとして唱えるのは
偽善。そうしたフレームが、ニーチェからフロイトに受け継がれたと思います。

しかしダーウィンの観察と考察では、愛情や共感を抱くこと、助け合うことは、(人間を典型とする)動物が自然史のなかで、「生命のための闘い」のなかで獲得することができた、「最も高貴な部分」です(『人間の進化と性淘汰I』ダーウィン著作集1、147頁)。

たしかに思想の領域でも、近代化の感性と「助け合う」ことは相互に矛盾してきたのかもしれません。だからこそ、近代化の感性や価値を転覆させるべき時、「生命のための闘い」が切迫する今、ニーチェやフロイトの堤防をダーウィンが乗り越えてくるのではないでしょうか。

舌足らずの長文メールになってしまいましたが、考えていたことを補足してみた次第です。何かの機会にまたお会いできれば嬉しく思います。

榑沼範久


「人間にとって重要なのは、愛情と共感という感情である」そして「その愛情と共感は『同じ集団に属している個体』に向けらる」というダーウィンの言葉はそれこそ僕にとっても鳥肌が立つ。それなしでは個体は生きていくことができない。
たまたま手近にあった「権力への意志」には全く正反対のことが書いてある。「『人間は劣悪である』とキリスト教が教えるような普遍的命題は、退化した者の類型を人間の正常な類型とみなすことが正しいとすれば、あるいは正しいかもしれない。」(ニーチェ、権力への意志・上、p325)つまり、キリスト教的な愛は「人間は劣悪である」という解釈(普遍的命題)と共にあるというわけである。「人間は劣悪である」その劣悪な人間が愛によって救われるという、愛や共感、あるいは助け合うという感性に対する否定的な感情、それは今の私たちの中にも確かにあるように思う。そうした感情を覚醒させたのは確かにニーチェだ。

Posted: Riken Yamamoto |

June 16, 2011 10:53 PM | Category: 山本

山本です。向かいあう配置。岩手県の大水住宅課長。

5月27日、メディアテークでの「帰心の会」の後、盛岡でお目にかかった大水敏弘さん、岩手県の住宅課長である。その大水さんから連絡があった。南アクセス、北アクセスの住宅を組み合わせて、向かいあう配置計画が実現されるということである。宮古市第二中学校、釜石市平田多目的グランド、山田町織笠地区の三カ所で向かいあう形式の住棟配置が実現する。その計画の記者発表を既にしたということである。その新聞記事も送られてきた。
仮設住宅は北アクセス南側採光を基本として造られているために、南アクセスにするためには多少の工夫が必要である。ただ鏡対象で反転させればいいというわけではない。大水さんは二つの寝室を南北に配置してどちらか一方が南面になるように工夫した。そうすると南アクセス側に配置されたDKと横並びになって、時には一体利用ができる。つまり結果的ではあるけど51Cに極めて良く似た住戸プランなのである。そのプランを載せたいのだけど、どうやってここに載せていいのかそのスキルが僕にはない。まあいずれ。でもこのプランは51Cとは全く違う。その外側に対する意識が全く違うからである。閉じていない。向かいあう住戸、隣り合う住戸とセットになっている。セットになっているという意識と共に計画されている。そこが全く違う。全体の配置計画と住戸プランが一つのセットになって計画されている例は実は極めて少ない。この向かいあう計画はそうした計画の嚆矢である。
プライバシーの尊重だけを目的化するようにつくられているのではなくて、お互いに助け合って住む、それが目的になっている住戸配置計画であり、住戸プランなのである。
大水さんにお目にかかって仮設住宅の話しをさせていただいたのが5月27日である。実現しますといって連絡をいただいたの6月13日、たった17日間である。この短い時間で大水さんはよくも実現にこぎつけたものだと思って感嘆した。17日間の間にプランを改良して、各自自体に連絡をとって、きっとプレハブ協会にも連絡をっとって、説得して説得して実現にこぎつけたのである。すごい人がいるなあ。
3月18日に集まったY-GSA生たち。みんながあのとき、胸騒ぎの中で本気で考えたことが実現するよ。あのとき集まったこと、みんなで話しをしたことをわれわれは少しだけ自慢していいと思う。大水さんのおかげだけどね。
とはいってもただ喜んでいるわけにはいかない。この「向かいあう配置」は7月の中旬から下旬ごろには完成するらしい。できればそこに行って、そこに住む住民の人たちに会って、この仮設住宅にどう住んだらいいのか話しをしたいと思う。助け合って住むという住み方はこの人たちが既に長い時間の中で体験してきた住み方なのではないかと思うからである。彼らから教わりたいことが沢山ある。この住戸配置と共に、この住戸配置を最も有効化する住み方はどのような住み方なのか、そういう話しをしたい。ここでワークショップをしたいと思うので一緒にやろう。

Posted: Riken Yamamoto |

May 31, 2011 1:09 PM | Category: 山本

山本です。「帰心の会」仙台

5月27日、"仙台メディアテーク"で開催された「帰心の会」シンポジウムに行ってきた。帰心はKISYNである。隈、伊東、妹島、山本、内藤の頭文字を並べて「KISYN」、そのKISYNの当て字で「帰心」、「故郷に帰りたいという強い気持ち」という意味である。これから何かをしたいという気持ちと重なってとてもいい言葉だと思った。その「帰心の会」の第二回目のシンポジウムである。
私は仮設住宅の話しをした。「あすと長町」という仙台市の町で建設中の仮設住宅を見て、改めてひどいと痛切に思ったからである。(いや、逆だった。5月1日の「帰心の会」の後、5月6日にあすと長町や石巻や名取に行ったんだった。)緊急の避難先であることを考慮したとしても、この配置計画はちょっとひどい。断熱や遮音や設備計画があまり充実していないのは多くの人が指摘するように確かに問題である。でもそれよりももっと深刻なのはこの配置計画である。これはまるで兵舎のようである。18世紀末に最初に住宅を供給したフランスの産業資本家たちが考えた配置計画がこうした配置計画だった。実際にそれは兵舎式と呼ばれていたのである。住宅そのものの性能の悪さを指摘することはあっても、なぜこのような配置計画をわれわれは今まで全く疑わなかったのだろうか。いまだに疑っていないのだろうか。
ここには本質的な問題が潜んでいる。
住宅は単にその住宅単体の性能の問題であると私たちが徹底的にすり込まれてきたからである。なぜか。今までずうっと話しをしてきたように、住宅は家族のプライバシーを守るためにこそあると私たちが思い込んでしまっているからである。供給の仕方の発端が家族のプライバシーであり、家族相互の隔離とその管理だったからである。その18世紀、19世紀の産業資本家たちの方法は、そのまま第一次世界大戦後のヨーロッパ、特にフランス、ドイツ、オーストリアの労働者住宅に引き継がれた。プライバシー、隔離、管理が引き継がれたのである。日本の第二次世界大戦後の戦後復興住宅がそれをそのまま輸入した。それがいまだに民間ディベロッパーの供給方法になっているのである。
だから、仮設住宅がプライバシー、隔離、管理をその配置計画の原理にしているのは根拠があるわけである。従来の供給方法をそのまま踏襲しているだけなのである。北側アクセス、南側採光は各戸のプライバシーを守るためである。それが孤立化を促進している。阪神淡路の時に仮設住宅で233人もの孤独死に結果的につながってしまったのは、そうしたプライバシーに対するあまにも極端な偏重による住棟配置計画故である。でも、問題なのは多くの私たちはそれが偏重であることに気がつかない。プライバシーが身体化されてしまったいるからである。
仮設住宅に私がこだわるのは、被災地に限らず、それが今の住宅問題を典型的に示しているからである。
仙台メディアテークでの「帰心の会」は重かった。今、すぐに何をすればいいのか。即効薬は見つからない。同時に今までの都市や建築に対する考え方が間違ってきたのではないかという、自分たち自身に対する本質的な問いかけが一方にある。言葉に出せば、その言葉が空しい、それでも言葉にする責任が私たちにはあると思う。こういう都市や建築をつくってきた責任の一端があると思うからである。少しずつでも、言葉にして行きたいと思う。5人で東北地方を巡って、話しをしたいと思う。少しずつしかできない。でも、それが未来の都市への希望に少しでも近づけたらと思う。
「帰心の会」18時40分終了、19時4分の新幹線で盛岡に行く。ぎりぎり間に合った。東北大の小野田泰明さんと一緒である。岩手県住宅課の大水さんにお会いした。向かいあうような仮設住宅配置計画案を説明する。これを実現するのは結構大変だけど、と言いながら、実現の方向を模索しているようだった。少しでも実現したら今までとは全く違う、助け合って住むような住み方のモデルができるんだけど。
もう帰れないので、盛岡で小野田さんと山本事務所の入りたて新入生と呑む。酒も肴も旨かった。

Posted: Riken Yamamoto |

May 10, 2011 5:10 AM | Category: 山本

山本です。石巻に行った。

事務所の若いスタッフと、それと横浜国大の榑沼範久さん、INAX出版の高田さん、TBSのディレクターの磯原さんと一緒に石巻に行った。TBSは「夢の扉」という番組をつくっていて、山本を取材している。このところ、事務所にも韓国にも、自宅にも密着取材されていてその都度何かをしゃべらなくてはならないのですごく疲れる。放映は5月15日。どんな内容なのか全く知らされていないので、かなり不安だけど気が向いたら見てください。
舟が道路にある。車が逆さまになって家の中に入り込んでいる。航空写真で見ると比較的被害の少ないと思われる場所を歩いていても、実際は凄まじい破壊である。呆然と歩いていたら何をしているのかと声をかけられた。避難先から少しでも使えるものを探しに来たのだという女性である。是非破壊された家の中を見てくれという。一階部分は外から流れてきた瓦礫と使っていた家具や布団や畳が折り重なっていた。ここまで津波がきたと言って指を指す。私はこの長押の上に乗ってなんとか水に浸からずに済んだ。寝たきりの母親はたまたま空気マットを買ったばかりで、そのマットが水に浮かんで助かった。水が引いてもまわりは瓦礫の海で途方に暮れているところに酒屋のゲンちゃんが助けに来たのだと言う。ゲンちゃんと一緒になんとか母親を二階の次女の部屋に引き上げた。そこに母親を寝かせたけど、点滴をすることができなくて数日で息を引き取ってしまった。最後は口移しでジュースを飲ませたけどだめでした。遺骸と一緒に寝ていたんですよ。たまたま瓦礫の向こうにいた見ず知らずの人に大声で頼んだら警察まで瓦礫を超えて行ってくれて警察官を連れてきてくれた。隣の人も亭主も死んだ。でも、今までの近所づきあいがあったから私は助かったというのである。話しをしている内に涙が溢れてきた。
こういう話しははじめて話しをするんですよ。いままでずっと涙は出なかったけど、あなたたちに話しを聞いてもらっているうちに泣いてしまって済みません。話しを伺っているうちに僕も思わず泣いてしまった。いままで誰にも話す機会がなかったのだと思う。周囲は全て被災した方ばかりで、はじめて外からきた人と話しをして、自分のことを話して一気に緊張がゆるんだのだと思う。家の中を見てください。何が起きたか聞いてください。
「見られること、聞かれること」それが公共性だとハンナ・アレントは言った。私たちは聞かれる権利がある。見られる権利がある。
私たちがいままでつくってきた社会は「見られないこと、聞かれないこと」、つまりプライアバシーが最大の価値であるということを前提としてつくられてきた。プライバシーを守ることが住宅の役割だったのである。いままで何度も話しをしてきたけど、プライバシーの元々の意味は"排除される"という意味である。社会的な関係から排除されている状態が「deprived」な状態である。それがプライバシーの意味である。住宅という小さな箱の中でそれを快適な箱にするために花を飾り、犬を飼い、美しい調度品を揃える。その「小さな満足」で十分に満足するようになったのがフランス人だとアレントは言うけど、それは正に戦後のわれわれである。その「小さな満足」を求めた人たちが最大被害者になってしまった。
われわれ供給者側が最大の過ちを犯してきたのだと思う。「小さな満足」をつくり出してきたのがわれわれだからである。
いままでの近所づきあいがあったから助かったという石巻の女性、安田さん(63歳)とおっしゃった。安田さんのおっしゃるように、みんなと一緒に住んでいた。誰かに話したい、見てもらいたい、という強い思いは「プライバシー」とは全く違う思いである。誰でも安田さんの話しを聞いて心が打たれると思う。
いままでの社会のつくられ方には決定的な欠陥がある。その社会のつくられ方がこうした取り返しのつかない災害を生んだのだと思う。
誰でも見られる権利がある、誰でも聞かれる権利がある。そういう社会、そういう建築、そういう住宅をつくりたい。本気でそう思った。

Posted: Riken Yamamoto |

ページのトップへ